坂田銀八は俺にとって不思議な担任教師だった。
銀髪なのもそうだが、かもしだす雰囲気が普通の大人と全く違う。
ふざけた態度と不真面目な授業だが、それでも生徒達に慕われている。
だが俺はそれが逆に怖かった。
皆が遠ざかりたがる伊藤先生の方がよっぽど俺には親近感が持てるくらいで。
だから目を付けられないようになるべく授業は真面目に聞いていたし、生徒としての態度を崩さないようにしていた。
そんな俺の中の直感のようなものが告げた。
根拠や理由は無い。
けど、伊東先生と2人きりで喋っているこの状況を彼に見られてはいけなかったのだと。
『そんな風に笑わないで』
恐る恐る土方が挨拶をすれば、宜しい。と言って銀八は小首を傾げる。
「で、土方は伊東先生と何してたの?」
「何って、普通に話してただけです」
「ふぅん。まぁ良いや。お前日直だろ?」
なんとなく伊東に話題を向けない方が良い気がして、土方はまるで何もないかのように応える。すると納得したのか否かは分からないが銀八は質問を変えてきた。
「そう、です」
「そ。じゃー教室行くよ。俺も用があるし」
そう言った銀八の視線がこの場から去る事を土方に促す。そしてそのまま彼は背を向けて、ぺたぺたと校舎の方へと歩き出した。
「えと、じゃあ伊東先生。失礼します」
「ああ」
ペコリと土方は伊東にお辞儀をすると、急いで銀八についていき、革靴から上履きへと履き替えた。そして土方は少しだけ銀八へ感じてるものの正体が分かった。
銀八は何を考えているのか分からない。
それに対する、恐怖。
「…先生は、伊東先生が苦手なんですか?」
「えー?そんな事ねぇよ?伊東センセーと超仲良いもん、俺」
自分の質問もストレートすぎた、と土方は思ったが、それよりも可笑しな返答が返ってくる。普通、仲良かったらもっと二言三言、会話があったって良いんじゃないんだろうかと考えてしまった。
「あれ?そういえば、先生は教室に何の用が?」
「んー。実は教室には用はないんだ」
「え?」
教室の空気を換気しようと土方は窓を開ける。その間、教室に用があると言った銀八は何もせずに自分の背中を見つめているような気がして思わず声をかけたのだが。
「じゃあ、なんでそんな事」
「俺さー土方に用があったんだよね」
そう言ってレロリと銀八が唇を舐める。
それを視た土方は、体の奥がゾクリとした事を感じ取った。
それが何なのかは分からないが、少なくとも自分よりは銀八は強い牡を持ちえているように思えて。
捕らえられたら、終わりだ。
脳裏にそんな考えがよぎった。
「俺に、ですか」
「うん。土方に。実は俺の昔の教え子がさ、ちょっとヤバイ道に逸れちゃって」
「昔の教え子?」
「そお。最近、またちょっと可笑しくなっちまったらしくてさ。でもまた俺と話したいんだって。でも2人じゃ恥ずかしいから、誰か口が堅そうな奴に同席して欲しいんだって」
だが、警戒とは裏腹に銀八の口から語られるのは教師らしい言葉。思わず土方の緊張が緩む。
「土方、いつも真面目に俺の授業聞いてくれてるだろ?今日だって日直の仕事、ちゃんと始めようとしてるし。
だからさ。そんなお前に俺と一緒にソイツん所、今夜行って欲しいんだ」
今夜、というのが気になった。だが銀八が横道に逸れようとしているかつての教え子を止めたいと思っているのだ。土方を信頼して、それを話したのだ。
「…そういう事なら、協力しますよ」
なんだ。考えすぎだ。
そう土方は思い、心の中で自分を叱咤する。彼はこんなにも生徒思いではないか。
あまりよく銀八を知らずに、知ろうとしないで遠ざけていたのは自分の方だったのだと。
「じゃあ放課後さ。俺が仕事終わるまでどっかで時間潰して貰っていい?」
「分かりました。図書館とかで自習してます」
「サンキュ。早めに終わらせるからよー。今日一日しっかりな、日直」
そう言って土方の肩を叩くと手をヒラヒラと振って教室を出て行く銀八。その背を見送ると、土方は清々しい気持ちでよし、と気合いを入れる。
廊下に出た途端、銀八が静かにほくそ笑んだのも知らずに。
「あ。晋助。オメー今頃登校してきやがって」
「良いじゃねーか。昼前に来たんだから」
2時間目の終わりに、隻眼の幼馴染と廊下ではち合う。薄っぺらい鞄を肩にかけている所から悠長な登校をしたのだろうと土方は案じたが、まさにその通りだったようだ。
「まぁいい。俺、今日一緒に帰れねーから」
「なんで」
「…先生と、進路相談」
銀八が土方に話したのは恐らく、外部には秘密なのだろう。故に苦し紛れな言い訳をする。高杉は僅かに疑いの眼差しを向けてきたが『分かった』と返答してくれたので、胸を密かに撫で下ろした。
「…え、本当にこんな所で待ち合わせなんですか?」
そして放課後。
図書館で勉強して時間を潰し、仕事を終えた銀八と落ち合って連れて来られた先は繁華街の地下に位置する真面目な高校生である土方には無縁な、『いかにも』なクラブ。
思わず両腕で鞄を抱え、思った事を口にすると『とりあえず入るぞ』と言った銀八に手をひかれて店内に足を踏み入れる。
「う、わ」
今から会う教え子から貰ったのか、銀八が入り口にいた厳つい男に招待状のようなものを差し出すと、『入れ』と顎で命じられる。その室内は、重低音のBGMが響く異様な空気で満たされていた。
煙草とは違う、何かの色のついた薄い煙が立ち込めて不思議な匂いが鼻腔をつく。
客層も、上半身裸の女性やら陰部剥き出しな男性やらが性交してはいないものの絡み合っていたり、その隣では全裸の女が奇声に近い笑い声を上げて大の字に横たわっていたりで土方は目のやり場に困った。
(こんな所で待ち合わせなんて…大丈夫なのかよ、先生…)
不安げに銀八に視線を上げると、土方の不安に気付いたのか『俺が居るから平気だよ』と小声で言って頷いてくれる。それに頷き返し、銀八を信じて土方は彼の後をついて行った。
だがそれでも途中、小さな舞台で行われているショーに驚きを隠せない。
仁王立ちした男の陰毛を、二人の女が剃毛しているのだ。
それを見ている者達が興奮した様子で『俺にもやらせろ』だのとても聞いていられない下品な台詞を口々に叫んでいる。
制服を纏っている自分は、明らかに場違いだ。何より充満している煙のせいか意識がトロンとしてくる。土方は銀八に外で待っていて良いかを訊こうとした途端、『あ、見つけた』と強く腕を引っ張られる。
辿り着いた先は、先程ショーが行われていた舞台より大きなステージの裾。
そこには太めの髪の毛が薄い男が二人。
まさか彼らがその教え子なのかと思っていると、突如両手首をとられて背後でガチャリと音がした。
「え…?」
後ろ手で手錠に繋がれたのだ。それを行ったのは銀八。
状況が把握できずに土方が呆然としていると、二人組みの男の方に突き飛ばされる。
「あらっ、ギンじゃなーい!まさかさっき電話で言ってたの、この子?」
「やだぁ。本当に可愛い高校生!いいの?素人そうだけど」
「もっちろーん。その代わり、報酬はいつもの口座に入れとけや」
こちらに気付いた男二人組みがキャイキャイとした声で銀八に話しかけ、それに彼は応じる。そのやり取りを眺めながらやはり土方は意味が分からなかった。
だが分かるのは、少なくともコレは良い状況ではない。
「せっ、先生!コレはどういう事…んんっ」
「土方ぁ。大丈夫。あのオジサン達、大人しくしてれば超気持ちよくしてくれるから」
「…!?」
疑問を投げかける言葉を銀八の掌で押さえられて遮られ、更に混乱を招く発言を耳打ちされた。
「というか先生、処女嫌いなんだ。だからせいぜい頑張れや」