そんなに深さはないと思っていたのに、意外と落ちる時間が長かった。
心の隅でそんな事を考えながら、土方は痛む体を起き上がらせる。

「い、てて…あれ?坂田は…」
「ちょ、土方君、無事なら早くどいて…」
「げ、おい平気か!?」

どうやら落ちた先は銀時の体の上だったようだ。驚きつつも急いで土方は退き、呻く銀時を支える。

「馬鹿だな、お前…!なんでどかなかったんだよ」
「いや、ここはカッコよく受け止めるべきかなーとか思って」
「…ったくそれで俺につぶされてちゃ意味ねーだろ」

薄暗くて銀時の状態がいまいちよく見えないが、喋れるという事はなんとか無事のようだ。
すり切れたり打撲して痛むけれどなんとか立てるのを確認すると、土方は仰ぐ。

「おーい、落ちたぞー」

声を張り上げるも、遠くから同級生達の騒ぐ声が聞こえてくるのみで勿論返事はない。
当たり前か。若干この位置は、キャンプファイヤーから離れている…そう考えて舌打ちをした。

「全くさ、土方君まで落ちたら助けを呼んだ意味ねーじゃん」
「うっうるせーな!大体、なんでお前こんな所で落ちてんだよ!」
「え、ちょっと小便したくなってね、良い所探してたら足踏み外して落ちた」

テヘッというような調子で言う銀時に、はぁと土方は溜め息をついた。まさかこんな状態で二人きりになってしまうとは――。

「キャンプファイヤー終わるまで助けは望み薄だし、崖は登れねーじ…このままぐるっと回って旅館目指そうぜ」

なんとか二人きりの時間を減らそうと土方は提案する。だが、それに対して銀時はえぇえ!と叫んだ。

「なんだよ」
「ちょっ、この暗い森の中を!?ゆゆゆ幽霊的なもんがいたらどうすんの!?」

今まで全くそんな事を忘れていたのに、ハッとして辺りを見渡す。確かにシンと静まり返って暗い。

「ばばばばーか、んなモンいるワケねーだろ!なんだよ恐いのか、ダッセーな総督ともあろう奴が!」
「べべべ別に恐くないもんねー。ただ土方君が恐がりっぽいから脅かしてみただけだもんねー」
「こここ恐くねーよ、だったらお前はここに居ろよ、俺は行く」
「もーしょうがないなーそんなに恐いならついていってやるよー」

不毛な言い争いを繰り返しながらも二人はその場を離れて歩き出す。カサカサと枯れ木を踏む音や風が枝を揺らす音ぐらいしか耳に入らず、それ以外は全くと言って良い程無音だった。
しかし段々と目は慣れてきたせいか、やけに銀時がひっついて来てるのが分かる。
――なんだ、やっぱり恐いんじゃねぇか…そう思ってなんとなく足元に視線を下げて気付いた。
右の足首が痛むのか、引き摺るように歩いているのだ。

「坂田、足…」
「へ?ああ、平気だよ。ちょっと捻っただけ」

歩みを止めて問うと、銀時は近づけていた体を離してそう答える。
ひっついていたんじゃない。痛いから、遅れを取らないように努力をしていたのだ。土方はぎゅうと胸が潰される感覚に陥る。

「なんで言わねーんだよ、まさか俺が落ちた時に…」

銀時は答えず、違うよとだけ呟いて視線を逸らす。
そうだ。確か自分が落ちるまでは彼は普通に立ってウロウロと歩き回ってた、と記憶していた。

『だって、心配させたくなかったんでさァ』

俺のせいなら、痛いなら、どうしてそう言わねーんだ。
土方がそう思いかけた時、ふと幼い頃、総悟がばつが悪そうにそう言ったのを思い出す。
青く腫れ上がった総悟の腕。

『そーちゃん。どうして早く言わないの。痛かったでしょ』

一緒に遊んでいた土方は、ミツバが指摘するまで痛みを隠していた総悟に気付かなかった。

『姉上も土方さんもすきだから、迷惑かけたくなかったんです』

総悟の腕に青痣が出来た箇所は、先程までふざけて木の枝で戦いごっこをしていた際に、土方が総悟に打ち付けた所だった。


「ほら、掴まれよご主人様」
「えっちょっと、土方君!?」

思い出に少しだけ想いを馳せた後、土方は銀時の腕をひいて自分の肩に乗せる。突然の行動に驚いたのか銀時は声を裏返した。

「いや、大丈夫だから!本当に!歩けるから!」
「…いいからつかまっとけ。遅れ取られても迷惑なんだよ」

先程から水の流れる音が聞こえる土方の聴覚が正しければ、どこか近くに川がある筈だ。
なんとかそこに銀時を連れて行って捻った所を冷やしてやりたかった。
相手は自分を脅して陵辱した男。
だが、土方を看病したり受け止めようとしたのも事実だ。

「坂田、ここ座れ」
「え、なに。なにすんの?」
「捻った所冷やすんだよ。靴脱げ」
「…いや、あの本当に大丈夫だから「いいから早くしろ」

予想通り、小さいものだが川はすぐ近くにあった。そこまで歩いていくと銀時を下ろしてポケットからハンカチを取り出す。

「男のクセに、土方君てばハンカチ持ってんの」
「うるせーな。昔から近藤さんや総悟の世話してたら、必需品になっちまったんだよ」

右足だけ裸足になった銀時に問われ、川にひたしたハンカチを絞りながら土方は答えた。

「どこが痛いんだ?足首?」
「うん。・・・ねぇ、そうごって、土方君の幼馴染の沖田君の事?」

その言葉に、足首にハンカチを巻き終えた土方はビクリと肩を揺らす。
『どうしたらお前は、オトモダチを俺から護れると思う?』
銀時に犯された時に問い詰められた言葉が甦った。

「だったら何だよ。またそれで俺を脅すつもりか」
「・・・違ぇよ。
 土方君が誰と仲良しなのかって知りたかっただけ」

これは嘘じゃないよ、と言って銀時は髪を揺らして苦笑した。
また俺を騙す虚言かも知れない。
以前の土方ならその言葉を聴いてそう思っていただろう。
だが今は違った。穿った見方をしないで素直に彼を見る事が出来る。

『言った筈よ。銀さんに変な真似したら許さないからって』
そう言った猿飛は初めから銀時が土方に接触する事で、変化が起こる事を予測していたのかも知れない。
それなら尚更疑問に思う。彼らの関係は一体なんなのだろう、と。

「…なあ、お前と猿飛って、結局何なんだ?」

銀時と猿飛の関係。それを考えただけで、心の底でジリジリとした今までにない焦燥が起こる。
気付けば土方はそんな質問を口走っていた。



どんなに想ったって
どんなに、誰よりも愛したって
世界中を敵に回してでも求めたって

君が頷いてくれなければ意味がないのに。

この想いが生涯叶わない事なんて、本当は分かってるんだ


『世界中を敵に回しても』


「へ、なんでさっちゃん?」

土方の問いに驚いたのか、銀時の声が裏返ったような気がした。

『私の世界には、銀さんと私しかいない』
猿飛はそう言った。が、しかし二人が恋人同士には到底見えない。
それでも彼女が銀時にあそこまで尽くす理由が知りたいのだ。
土方のように脅されたわけではなく、自ら彼に忠誠を誓っている理由を。

「だって、別にあの女、彼女とかじゃねーんだろ」
「えー…うん」

視線を泳がせながら銀時はポリポリと髪を掻く。はっきりと否定しない態度に何故か土方は焦れた。

「だったら、なんでアイツ、お前に…」
「さっちゃんと俺が初めて会ったのは、高1の入学したての時。
 …らしいんだ。俺はあんまり覚えてないんだけど」

問い詰めるように話す土方を遮って、銀時は静かに口を開いた。

「土方君も知ってると思うけど…さっちゃん、普段は冷静だけど結構周りが見えなくなる時があるでしょ。
 おまけに眼鏡がねーと、殆ど何も見えないらしくて」

はっきりとした記憶は無い。だが、かすかになら覚えていると銀時が言う。

話しかけたのにシカトした。男の前だと態度が違う。
そんな難癖をつけてきた同級生の女子に度々嫌がらせを受けていた。
だが、割とそういうのを気にしないタイプの彼女は平然と学校に来ている。
それが余計に周りを苛立たせたようだ。

「なんか、さっちゃんがリンチっぽいのを受けてた時だったんだよ。
 『お前ムカつく』とか『男漁りに学校来てんだろ』とか言われてた時でさ。
 俺、相手をよく知りもしないでそういう事言う奴ら、本気でクソだと思うから、
 多分助けちゃったんだよね、あの子を。
 って言っても、『くだらねー事してんじゃねーよ』くらいしか言ってねーと思うんだけど」

聞きながら土方は、放課後に猿飛に呼び出されたあの日、彼女は一人で日直の仕事をしていたのに疑問を感じた事を思い出した。
まさか、あれは一人でやるようにクラスメイトに強いられていた…?

「それからだよ、俺の傍に居るようになったの。
 さっちゃん、今まで友達も何も居なくて、本当の事を言える子なんて出来なくて…
 助けてくれる人なんて、誰もいなかったんだって」

まぁ俺も似たような所あるけどさ、と銀時は静かに笑う。

「じゃあ、お前はアイツを庇う為にああいう態度を…?」
「んなわけねーじゃん。突き放す為にああしてんだよ」


そう言って銀時は睫毛を伏せる。土方は一瞬、その横顔にドキリとしてしまう。そしてどこか感じてしまう後ろめたさ。

「…最後まで護りきる覚悟がねーんなら、無茶に手は出さない方が良いんだ。
 護りきれない時に、一番傷つくのはさっちゃんだよ」

最後まで護りきる覚悟がないなら。
その言葉が土方の心に突き刺さる。銀時も経験した事なのだろうか。
そう思うのと同時に猿飛に総悟を重ねて考えてしまい、余計に胸が締め付けられる。

『…言わないんですか、本当のこと』
『ああ、アイツがあの約束で、少しでも希望が持てるんなら…』
『十四郎さん。じゃあ私の希望も、一つだけお願いして良いかしら』

総悟に本当の事は言わない方が良いと思った。
勘違いでも総悟が幸せなら、それで良いと思ったんだ。

『そーちゃんの事…宜しくお願いします。
ずっとなんて言いません。あの子がちゃんと自分の力で幸せを掴める時までで良いんです』

ミツバとの約束だったから。
ミツバに惚れていたから。
彼女がの望んだ幸せは遺していく弟の幸せ。
だから総悟が自分の力で幸せを掴み取れるまで、総悟の幸せは俺が護る。
土方はそう誓っていた。誓っていた筈だった。

じゃあその後は?
汚いものから遠ざけて綺麗なものだけ見せて、その後は?

総悟が幸せになった、と確信したらどうするつもりだった?

『あんまり一人で気張ろうとすんなよ。それが土方君らしさでも、ね』

俺、は。


「中途半端に護ったら、猿飛が傷つくから…?」

なんとか会話を続けようとして、問う土方の声が微かに震えた。
ダメだ。気付いてはいけない事に気付いてしまった。

許されない。こんな気持ち。気付いたらダメだ。


「そう。俺が注目されてるのは当時から分かってたし、変に庇って嫌がらせがエスカレートしてもアレだし。
でも一方的にあの子が俺の傍に居る分には…って土方君?どうした?」


ダメだ。溢れ出る。

「え、なに?お腹痛い?」
「ちっ、ちげーよ馬鹿!」

今まで真っ直ぐ目を向けて話を聞いていた土方が突然俯きだしたので、銀時は驚いて手を伸ばす。
だが彼の指が触れる前に急いで立ち上がり、溢れかけた涙をぐっと拭った。

「あーもう。優しいな、土方君は。ちゃんとさっちゃんの事も心配して」

猿飛の話に土方が感情移入して泣きそうになったと勘違いしたのか、銀時はそう言って笑う。
だがソレを否定するように首を振った。

「ちが、う。最低なんだ、俺は」

猿飛は大変な思いをして、そこでやっと見つけた銀時という安息の場所。
そんな彼女が恋人ではないと知って心底ホッとした自分に、土方は嫌悪感を抱いた。

総悟を護らなきゃいけないのに。
彼には自分と近藤しか残されていないのに。

「さいあくだ…っ」

銀時に触れたいと願っている、もう一人の自分がいる。

「土方君のどこが最悪なんだよ」

まるで土方の願いを知っていたかのように、銀時もよろけつつ立ち上がって頬に触れてくる。

「俺を、何度も助けてくれたよ」

そう言って深紅の瞳が弧を描く。今まで恐怖の色でしかなかったそれが、今ではとても優しく見えた。


「助けた、って…俺、別に」

だが、銀時の『何度も助けてくれた』という言葉の意味が分からず、土方はオドオドとしながら返す。
あまりの至近距離で言われ、心臓が早打ちしすぎて破裂してしまいそうだ。
それくらい緊張していた。

「んーん。助けてくれたの。現に今俺は、一人じゃないだろ」

頬に触れていた手を離すと銀時は屈んで靴を履き始める。

「あ、でもさっちゃんもね、最近お妙と仲良くなってきたんだ。良い傾向なのかな、コレ」

ふと思い出したように猿飛の事を呟いて、『さ、戻ろ』と言ってきた。少し躊躇いつつも再び土方は肩を貸す。

熱い。
溶けてしまいそうだ。
銀時の柔らかい髪が耳に触れる度、死んでしまいそうなくらい熱かった。
込み上げてくる気持ちを土方は必死で押さえつける。
多分、もう一度溢れ出したらもう後には戻れなくなるように感じるからだ。

「あは。なんか前と逆だよね」
「・・・なにがだよ」

そんなに広くない林だったおかげか、すぐに抜け出せて補正された道路に出る事が出来た。
恐らく、この坂の先に宿泊している旅館がある筈だ。
暗い所から脱出し、目的地が見えてきたからか銀時の声は明るい。

「前は、熱出してる土方君を俺がおぶってたんだよ」
「そ、それの礼はもう言っただろ」
「いっつも抵抗するから、弱々しいお前は新鮮でさぁ」
「テメェ、そういう事言うんじゃねぇ…」
「あんまりにも可愛いから、キスしたくなっちゃった」

ドクリ、と全身の血管が脈打ったような感覚に襲われる。
平静を保て。何度も土方は心の中で言い聞かせた。

「は、もう騙されねーぞ。また嫌がらせだろ、どうせ」
「どうかなァ。渋谷に二人で行った時に、覚えてる?俺が土方君と間接キスしたの」

『間接キス』
そう言って、土方が舐めた指を銀時も舐めて見せた事。
彼がとても満足そうな表情をしていたから鮮明に覚えている。

「あ、あれは坂田が舐めろって言うから」
「そう、俺が言ったよ。だってお前、モグモグ食ってて超可愛いんだもん」

どく、どく、と土方の胸は高鳴り続ける。
あと少しで旅館だ。その玄関の前には沢山の生徒達が居るのが見えてくる。

「か、可愛いって、だからお前、それは」
「ね。欲情しちゃったのかも」
「え」

グイ。
歩いていた足を止められ、突然銀時に引き寄せられた。

「なぁ、土方君。もう俺の前で可愛い事しちゃダメよ」
「す、するかよ!つかしてねーよバーカ!
 なんだよ、したらどうなんだよ」
「知りたい?」
「・・・ッ、あ!」

ニコリと笑んだ銀時は、土方の股間にそっと指を這わせてくるのだ。唐突すぎる刺激に声を上げると、耳元に口を寄せて

「狼さんにもれなくえっちな事されちゃうよ〜」

熱い吐息混じりに囁かれた。


next