「トシ姐さん、そろそろ」
「ああ、分かってる」

色街の中で一番上等とされる遊郭。
そこに、俺は花魁として居た。
勿論女としてではない。男として。

「なんでも、今晩のお客さんはあの坂田家のご子息らしいですよ。
丁重に御持て成ししろって女将さんが」

「へェ。女じゃなくて男色に興味アリ、とは意外だな」


凱旋した際に、遠くから見た事があるだけの存在。
銀の髪を持った男の目は虚ろだったのをよく覚えている。

「じゃ、行ってくるよ」

女ばかりが色を使うその遊郭で、俺は影の存在を担っていた。
女に飽き、尚且つ富を持つ輩だけが俺の存在を識る事が出来る。

薄くだが化粧をし、女物の着物を羽織り、
そして男に股を開くのは並の神経では出来ないが。


「坂田様、土方十四郎です。…可愛がってくださいませ」

それでも、俺はここで生き抜かねばならなかった。

「…こんばんは。へぇ、本当に男なんだ」

記憶どおりの銀髪と、
男のわりに白い肌を持つ男は
全てを射抜くかのような瞳で俺を見つめてきた。

「なぁどんな事しても良いって、マジ?」

やけに芯を震わす声で彼は言う。

「…体と顔に傷をつけなければ」

「ふーん?じゃあお前のツラとケツマン壊さなきゃ良いんだ」

ケラケラと笑いながら、相手――坂田銀時は
部屋の窓から夜空の月を仰いだ。

そうして彼は、酒を呑み始めて
俺を抱こうとする気配がない。

早く色の時間を終わらせたい俺は
酌する時間も鬱陶しくて。

名を呼んで誘おうとしたが
ふと、どう呼んだら良いものかと悩んだ。
こんな若い客は初めてだし、
何より彼の父親も俺を抱きに来るのだ。

坂田様、と呼んでは失礼に当たるものだっただろうか―…。

「…あの、銀時様?」

名前で呼ぶと、
まるで今まで俺の存在など無かったかのように
振舞っていた彼が、
ピク、と肩を震わせてこちらを振り向いた。

視線が絡んだ先のその、縋る子供のような瞳に
二の句が継げないで居ると
相手が口を開き、呟いた。

「お前、俺が分かんの?」

「俺が分かんの?」

銀時の言葉の意図が掴めず、
土方は思わず小首を傾げそうになる。

分かるもなにも、
坂田のご子息と言えば有名だ。
この国で3本の指に入るほどの有数の金持ちであり、
先の戦では多大な功績を残した男。

『白夜叉』という
皮肉めいた異名を彼が授かったのも
この間、彼の父親が客としてやって来た時に
話に聞いていた。

「…はい、存じております」
「・・・」

銀時は土方をじい、と白銀の瞳で見つめた後
フイと視線を逸らして
己の手元のお猪口に
彼は酒を注ぎ始める。

名前を呼ぶ事は、
機嫌を損ねる事、だったのだろうか…?
と土方は不安になる。

土方は十四郎、と呼ばれるのが好きだ。

ここでは「トシ」としか呼ばれないから。
本当の名前―…自分は『何』なのか分からなくなる。

彼も別の名を持っているから
名を呼ばれる事は
決して気分を害する事ではないと
思ったものなのだが…

「…申し訳ございません。あの…」

「いや、悪ィな。
 名前で呼ばれたの、久々だから…
 少し驚いちまった」


苦笑しながら、銀時は言った。
そしてチョイチョイ、と手招きをする。

立ち上がって歩行するのは困難であり、
あまりしたくないのだが
丁重に持て成せ、と女将に言われたから仕方がない。

着物の裾を踏まないように
すら、と土方は立ち上がると
招かれた銀時の横に座った。

「これ、地毛?」

結い上げ、簪で纏め上げた髪に触れてくる。
よく客に綺麗だ、と言われる土方の黒髪。

「肩の長さまでは地毛で…あとはつけ毛です」

こんな事を聞かれるのは初めてで、
オドオドと土方は答えた。

「ふーん…」
「ぎ、銀時様?」

突然相手が肩に顔を埋めてくるものだから
どもりながらもその体を受け止める。

普通の客だったら
「抱くぞ」と唐突に言ってきたり
有無を言わさず帯を解いてくる輩ばかりだ。

銀時の甘えるような仕草に
驚きを隠せない。

「…名前」

消え入りそうな声で彼は言う。

「お前の名前、も一度教えて?」

「土方、です」

「違う。姓じゃなくて」

「…トシ…」

思わず、土方も消え入りそうな声で言ってしまった。

違う。
俺の、本当の名前は。

「とうしろう」

名前を呼ばれ、土方はビクリを体を震わせた。

「…って言ってたよな、さっき」

腕の中の銀時は、
まるで悪戯した子供のように笑む。

どうしてだろう。と土方は思う。
初対面なのに。
相手は、只の客なのに。
彼は俺を抱く為だけの目的で来たのに。

身体だけが、目的なのに。

「はい、銀時様…十四郎、です」

嬉しかった。


この世界に入ってから、
名前を呼ばれる事はなかった。

当たり前だ。
身体が商品で、売り物なのだ。

心はいらない。
十四郎はいらない。


脚を開いて
雄をしゃぶって
掠れた声を出して
屈辱的な体勢や行為を強いられ

それだけで…


「十四郎。良い名前だね」


銀時は、土方を抱かなかった。
時間が来るまで彼は
只、土方に寄り添っていた。


たった数時間。

銀時様が俺の名前を呼んでくれた、
その事だけが。

俺の感情の蓋を突き破り

血が噴出すかの如く、堰を切ったの如く。









「・・・ッ、く」


土方が花魁になって初めて色で教わった事は
『声を抑えろ』、という事。

女に飽きた客達は
絶え間ない喘ぎや大きな声を好まない。
お前のようにプライドの高そうな男を屈服させ
少しでも支配欲を煽り、満足させるのが
お前の仕事だと。

そう、言われた。

「ああ、トシや。ここが良いのかい?」

土方に圧し掛かった肉厚の男は
僅かに反応を見せた箇所を
その短小な雄でクイクイと押し上げてくる。

「…ふ、う、」

早くイけ!!

何度も心の中で叫んだ。
男相手な為に、客は躊躇いなく中出ししてくる。
行き着く先は決まっている。
いつも同じ事。

こころなんて関係ない。

だから、早く終わって欲しい。

きたなくてくさいしろいものをまきちらかせばおわりなんだ



『十四郎。良い名前だね』


銀時に言われた、温かい言葉がよみがえる。


「ン、ぁ、旦那様、トシは、イ、きます…っ」


汗ばんだ背中の肉に指を食い込ませ、
口の端から唾液を垂らしながら
彼は果ての快感を見た。

「トシ姐さん。これ」

「…さんきゅ」

あの太った男は常連の一人だが、
彼が帰った後は物凄い疲れが土方を襲う。

あの性に対するタフさは何処から来るのかと。

この店で只一人の男性―
土方の世話役の山崎に渡された水をゴクリと飲んだ。

「…大丈夫ですか?」

「ああ、平気だ」

こんな疲れきった顔では説得力がないな、
と思いつつも土方は答える。

ふと、行為の最中に
銀時の事を思い出した彼は山崎に問う。

「なぁ、ちょっと女将に訊いて来て欲しい事があんだけど」

「なんですか?」

「その…この間来た銀髪の…」

「ああ、坂田様のご子息ですか?」


ツクン、と土方の心臓が痛む。
やはり彼も、名前では呼ばれないのかと。

「また地方で反乱が起きたらしくて、
 それを抑える為に派遣されたらしいですよ」

「えっ」

「なんでも、攘夷派のテロが相次いでるらしくて…
 やっぱりすぐには天人を受け入れる、なんて
 難しいんですかねぇ…」

「・・・」


あの哀しげな瞳をした男を、
戦の最前線へと向かわせるのか。

またここへ来てくれるのではないかと。
会えるのではないかと。
名前を呼んでくれるのではないかと。
土方は心の何処かで期待していた。


「でも…沖田さんや、近藤さんやミツバさんも…
 テロに巻き込まれてなきゃ良いですね」


そして、ポツリと呟いた山崎の言葉に
胸が張り裂けそうになる。

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