「ねぇ、とし。としは、ぎんときに…会いたい?」

俺は、お前がこの世界の何処かで笑ってくれてれば良い。
この世界のどっかで、もう悲しいものを見ずに幸せで居てくれたら良い。
どこかで生きてくれてれば、それで良いと思ってた。


『君がいない世界』



「とーしー!お帰り!」
「ああ、只今」

愛しい人と同じ顔、同じ声で抱きついてくるのを土方は受け止めた。
銀時と彼が違う所といえば、喋り方が違うのと表情が豊かな事。

「俺ね、としが見廻り行ってる間に勲にオセロ勝ったんだよ!すげくね?褒めて!」
「いや、褒めてやりてーけど…近藤さん、仕事やらずにオセロかよ…」

溜め息をついていると、その腕を引っ張られるからそれに連れられる。
土方が帰ってきた事がよほど嬉しいのか万遍の笑顔を浮かべて。

「とし、金魚に餌やる時間だよ!」

元気にそう言う。
つい数日前まで病院で衰弱しきり、尚且つ暴れていたとは考えられない懐きようだ。それに苦笑しながらも彼に続いて自室へと向かう。

『コイツの身元が判明するまで、真選組で預かります』

白夜叉、という名前を聞いて安心しきった彼の髪を撫でながら、あの日土方はそう申し出た。

心身共に不安定な状態―それは土方にも言える事だったが―の人間を預けるわけにいかない、と松本は反対したが土方は頑として譲らなかった。

不本意とは言えど、彼は銀時から生み出されたもの。
ならばその面倒を見るのは自分だと土方は考えたのだ。
事情を知らない近藤も『万事屋にそっくりの奴なんて』と初めは許さなかったが、唯一事の一部始終を与り知る総悟は『良いんじゃないですかィ。土方のヤローが面倒みるって言うんなら』と助言し、結局真選組で預かる事になった。

隊の者達も、戸惑いを隠せなかったが自分達のよく知る万事屋の旦那とは全く違う性格や仕草に只の万事屋に似た人物で、更に彼が来た事によって少しでも副長の体調が良くなるなら、と反対を申し出なかった。

名前の方は正直戸惑った。銀時、と呼ぶわけにはいかない。
本人に『名前は何が良いか』と訊くと土方に懐いている彼は『自分もトシが良い』と言い張る。ならば銀、とトシ、を合わせて『銀歳』なんてどうですかね。と言ったのは山崎だった。

「銀歳とか…俺らの子どもみてーな名前だよな」

寂しがりやの彼は、土方の部屋で寝る。安らかな寝息を立てて眠る寝顔に呟き、その傍らから離れると土方は縁側へと出た。
そして腰を下ろして胡坐をかき、頭上を仰ぐ。
今夜は大きな月が夜を照らし、雲ひとつない空を支配していた。

『土方君、一緒に死んでくれる…?』

静かな空間に彼の声が響く。
それは、銀時を救出する時に嵌めていた録音機能がついている指輪から発されていた。
脱出時に、いつの間に電源が入っていたのか彼との会話がそこには記憶されていたのだ。

『今回は護れなかったけど、生まれ変わったら…今度は絶対に護るから』

ぎゅう、と土方は掌を握る。
銀時が死んだなんて信じない。
考えられない。
きっと銀歳と同じようにどこかで救出され、きっと今はどこかで療養している。
土方は固く、そう信じていた。

(死んだりなんかしたら…許さない)

「とし…どこ…?」

意識が黒く塗りつぶされそうになる寸前で、自分を求める声がする。
ハッと土方は我に返ると、不安げに辺りを見回す彼に声をかけた。

「ここに居るぞ。どうした?恐い夢でも見たか」
「とし…!」

安心したのか表情を緩ませると、布団から這い出ていつものように土方に抱きついてくる。

「こわかった。すごく。誰も居なくて、恐かった」
「誰も居ない夢を見たのか?」
「違う。居るの。でも皆、真っ赤になってて話しかけても動かなくて」

そう言って土方の着流しの裾を掴みカタカタと震える。
そんな彼を安心させるように、くせのある銀の髪を撫でてやった。

「安心しろ。俺はここに居るから」
「…ありがとう。とし…」

一瞬、彼の見た夢の内容に戦慄を覚えたのは仕方のない事だった。
恐らく兵器・白夜叉として刷り込まれた記憶か何かなのだろう。
攘夷戦争に参加していたとあれば仲間や敵の死体が当たり前のように転がっていた筈だ。
砂になってしまったあの白夜叉も、ずっと誰かに会いたがっていた。

「なぁ。知らなかったら、別に良いんだが」
「ん?」
「お前にとって、白夜叉って何なんだ?」
「…何、かは分からない」

そう言って、すうっと彼は顔を上げてその紅の両目に土方を映す。

「でも俺の中に在る、逆らえない何か」
「逆らえない?」
「うん。俺も考えようとするんだけど、そうすると頭がすごく痛くなる」
「じゃあ、お前があの病院で目が覚める前に何をしてたかも分からねぇんだな?」
「うん。…ごめんね、とし」

銀歳が再び表情を曇らせるから、慌てて土方は言葉を紡いだ。

「べ、別に責めてるわけじゃねぇよ。だから謝んな」

そうすると様子を伺うようにこちらを見た後に、彼は無邪気に微笑んでみせる。

そこで土方は、銀時の数えるくらいしか見た事のない笑顔を嫌でも思い出す。

いつも憎たらしい笑顔しか見せてこなかった銀時は、時々綻んだような表情を見せてくれた時が確かに在った。
今にも壊れてしまいそうな、そんな笑顔。

最後に見た銀時も笑顔を浮かべていた。


『最期には笑えたのは貴方達のお陰です』
伊東の双子の兄は土方と近藤にそう言った。

ならば、と土方は思う。自分は銀時に笑顔を与えられるほど、何をしてあげられたのだろう、と。

(なぁ銀時。お前、今も何処かでちゃんと笑ってるのか?…笑って生きてくれてれば、俺はそれで良いから…)

「とし、すごい!食べ物が沢山ある!」
「おい。叫ぶな走るな迷惑をかけるな」
「お魚がいっぱい並んでる!金魚はいるかな」
「聞いてねぇし!つーか金魚はスーパーに売ってねぇから…」

とりあえず銀歳に生活の基本的な事を教えようとある日、土方は彼を買い物へと連れ出した。
銀時の知り合いと出会うと面倒になりそうなのであまり目立たないように、銀髪を隠す為に帽子を被せてはみたもののはしゃぐ彼には意味のない事だった。

「あ、とし。牛乳もあるよ。牛乳欲しい」
「分かったから、俺から離れるな…」

『行くぞコラ。…今度ははぐれんなよ』
走り回る銀歳を見かねて言いかけ…土方は自分が銀時に言った言葉を思い出す。
あれは銀時と一緒に行った花火大会の時。はぐれた彼に、手を差し伸べて言った言葉。

「えへへ。ごめんね」

子供のように銀歳はそう言って手を繋いでくる。それを握り返しながら土方は、銀時の存在が次第に思い出になっていく事実に心底怯えた。
声は思い出せる。
あの指輪に録音してあるから。

顔だって、仕草だってまだ思い出せる。

だが、温もりが思い出せない。
忘れたくないのに消えていく。
体は重ねなかったがあんなに手を繋ぎ、口付け、抱き締めあったのに。

忘れないと約束したのに壊れて、崩れて、溶けていく。

『どんなに忘れないと誓っても、結局いつかは忘れていくんだろう?』

将軍のペットに襲われて精神攻撃された際、土方の中の伊東は確かにそう言った。

『彼女の事も、僕の事も君は忘れていくんだろう?土方君…』




「なぁ銀歳。今度のオフの時、どこか外に出掛けようか」

銀時がすくった金魚は元気で、餌をやるのは銀歳の日課になっていた。
いつものように鉢に餌を入れるその後姿に、刀の手入れをしながら土方は声をかける。

「外!本当!?」

彼のその容姿のせいで中々外に出せてやれない。だが先日、買い物に連れて行ってから銀歳は次に外へ出掛けれる事を楽しみにしていた。

「ああ。どこに行きたい…って言っても、お前外の事分からねぇよな」
「じゃあ俺、としと海を見に行きたい!」


返答がないと思いきや、相手は目を輝かせて応えてくるから土方は驚く。

「海って…なんで知ってるんだ、お前」
「あのね。そーごとテレビ見てた時に、出てきたんだよ海!
 そーごが『ありゃあでっかい風呂ですぜィ』って言ってて…俺もでっかい風呂に入ってみたい!」

またややこしい事を教えやがって…と溜め息をついた。
実際に連れて行って彼ががっかりしない事を願いながらも、折角のご所望だ。
銀歳を海へ連れて行くことにしよう。

「分かった、じゃあ今度のオフは海な」
「わーいやった!とし、俺が色々用意するからね!」

嬉しそうに飛び跳ねると、彼は箪笥を開けてどの着流しを着ていくかを選び始める。『別に今日行くわけじゃねーぞ』と言おうとしたが、機嫌を損なわれても困るので好きにさせておく事にした。

「銀歳。俺、ちょっと厠行ってくるから」
「はーい」

大好きなとしが廊下に出て行く音を聴きながら銀歳は、彼と一緒に出掛けれる事に心底喜んでいた。

「としはどの着物が良いかなー」

…目覚めた時は知らない人間が自分を見下ろしていた。
恐くてどうしたら良いか分からないから暴れる。叫ぶ。すると心の何処かから『目の前の奴らを壊せ』という声が語りかけてくる。
そしてもがく体を、無理矢理押さえつけられて恐怖だけが増していく。
そんなどうしようもない世界で、としだけが抱き締めてくれた。
恐くない、と言ってくれた。

温かい、人。それが銀歳にとっての、土方であった。

「って言っても、としは黒い着物しか持ってない…ん?何だろう、この紙」

そんな銀歳は偶然、奥底にしまい込まれていたかのようなものを見つける。


*


「冷たい!とし、海は冷たいよ!」
「ああ、残念だったな。つまり海は風呂じゃねーんだよ」
「はは。でもなんか楽しい!」

そう言って波打ち際を楽しそうに銀歳は駆け回る。
端から見たら、成人男性が一人はしゃぐ姿は不思議に見えただろうが、昼間なのにも関わらず偶然にも土方と銀歳以外の人間は居ない。
今日ぐらいは楽しませてやろうと思い、子どものような彼を見守りながら土方も爪先で波を蹴った。

(そういえば…初めてオフとった時に銀時と来たのも…海だったな…)

「とし!」

ふと思い出した所で名前を呼ばれる。面を上げると、顔をくしゃくしゃにして笑う銀歳の姿。
そんなに海に来れた事が嬉しいのかと思っていると、彼は叫んだ。

「とし、ありがとう!連れて来てくれて!」
「そんなに喜んでくれるとはな。まぁお前が羽伸ばすのには丁度良いだろ」
「…とし。俺は、すごく嬉しいよ。
 としと一緒に居れて、海に連れて来て貰えて本当に嬉しい。
 でも、それはとしも楽しくなきゃ、意味がない」

一瞬、銀歳の並べられた言葉に息を呑む。だが平然を取り繕って土方は応えた。

「何言ってんだよ。俺だって楽しい…」
「違うよ。としは…ぎんときの横に居るとしは、そんな泣きそうな顔じゃなかった!もっと…幸せそうだった…」

拳をぎゅ、と握り。声を震わせて銀歳は言ってくる。
土方は混乱した。何故彼の口から銀時の名前が出るのかと。

「銀歳…?お前、なんで、銀時って、知って…」
「…としの箪笥の奥に、紙が入ってた。
 としは金魚持って恥ずかしそうにしてて。俺と同じ顔した人の、横で」
「あの写真…見たのか」

花火大会へ行った時、景品を大量に手に入れた銀時に射的の親父は『記念にどうだい』と誘い…撮られたポラロイド写真。
隊の者に見つかってはいけないその思い出の品を、土方は箪笥の奥に隠しておいたのだ。その写真の裏には『銀時と、花火大会にて』と書き込んで。

「としは俺を見て時々悲しそうな顔をするよね?真選組の皆もそう。それは、俺がぎんときと同じ顔してたから?」
「銀歳、俺は」
「俺が『ぎんとき』じゃ、ないから…?」

ぐらり。と意識が歪んだ。銀歳を引き取ってから治まっていた吐き気がまたもや込み上げてくるのを土方は感じる。
(頼む。頼むからアイツと同じ声と顔で、『銀時』なんて言わないで)

「ねぇ、とし。ぎんときは何処に居るの?俺が連れて来てあげる。そしたら、俺はとしの笑った顔が見れる…」
「…いねーよ」

(言わないで)

「少なくとも俺の知る世界には」

(感情が、溢れ出すから)

「もうアイツは、何処にも居ない…」




俺の隣に居てくれなくて良いからどうか、この世界のどこかで幸せでいて下さい。
笑っていて下さい。生きていて、下さい

(そう願っていたのは、アイツが死んだなんて受け入れたくなかったから)



苦笑にも似た表情を浮かべる土方に、先程とは打って変わる切なげな顔で銀歳は見、着物の袖を掴んでくる。

「なん、で」

そうしてふるふると首を横に振る。その度に銀の髪が綺麗に光り、土方には眩しくて仕方なかった。

「なんで居ない、なんて言うの。としは、ぎんときに会いたくないの…?」
「…ッ、会いてぇに決まってるだろ…!?」

我を忘れて張り上げられる土方の声に、ビクリと銀歳が肩を震わせて怯む。が、たった今、自分が発した言葉に自身も驚愕してしまった。
(何、言ってるんだ。俺は)
思わず掌で己の口を押さえ、ヨロヨロと後退する。その度にバシャバシャと足元で波が音を立てた。

「とし。ごめんなさい。俺、いけない事言った…?」
「ちが、違う。俺、は」

喉の奥から声を搾り出す。己の願いに、土方は気付いてしまったのだ。

ミツバを自分の手で幸せに出来なくて。
謀反しようとする伊東の意思を繋げる言葉を知らなくて。
運命から逃がそうとする銀時を救えなくて。
地獄にしか行けないのを承知で、真選組の副長で。
そんな自分が幸せになるなんて許されないから、絶対に言葉になんてしないと思っていた。

「トシ…?」
「ふ、う、うぅ…」

でも止まらない。
会いたい。
会いたいよ、銀時。

「銀、時ぃ」

初めは生きていてくれてさえ居れば良いと思ってた。
どこかで生きて笑ってくれていれば。

でもやっぱり嫌だ

「会いてぇよ…!銀時に、会いたい…!!」

隣に居て欲しい
隣で笑っていて欲しい

こんな我が儘許されないかも知れないけど、護りたかった。
幸せにしてやりたかった。
人殺しだと言う彼を、あらゆるものから護りたかった。

彼が死んだなんて事実を受け入れたくなかった。

「誰にも言うつもり…なかったのに…」

力を失ったように泣きながら土方は波の上に膝をつく。そんな彼を、泣き出しそうな表情をしながら銀歳もしゃがみ込み、抱き締めてくれた。

「とし…泣きたかったんだね、ずっと…ずっと、悲しかったんだね」
「ふ、ぇ、」

止めようと思っても、涙と嗚咽が込み上げてきてしまい、抱き締めてくれる銀歳に縋りついて土方は子どものように泣いた。

「…俺はとしの会いたい、ぎんときにはなれないよ。でもきっと、ぎんときもとしに泣いて欲しくない。笑って欲しいと思ってると、思う」

彼なりに、言葉を拾い集めて励まそうと必死に声をかけてくれている。
その事にもまた堰を切ったように土方の内から感情が溢れ出す。

「ごめんね、とし。俺は白夜叉で…ぎんときじゃなくて、ごめんね」

呟くように囁かれる銀歳の謝罪の言葉。土方はそれを、首を振って否定した。

「謝るんじゃねーよ…お前の代わりだって、誰もいねぇんだ」

「え…?」

「銀時、だとか白夜叉だとか関係ないんだ…ソイツの代わりは誰にも出来ない。
だからお前は、お前で良いよ」

そう言って彼の背中に回す腕に力を込めると、やがて泣きじゃくる声が聞こえてくる。暫く二人で泣いた後、銀歳は口を開いた。

「…トシは、銀時が帰ってきたら言いたい言葉、ある?」

「あぁ?そりゃああるさ。『遅ぇんだよ』って怒った後に、『おかえり』って言う」

鼻をすすりながら土方が答えると、すこし笑って彼は訊いてくる。

「ねぇ、トシ。トシは、銀時に…会いたい?」

「はぁ?だから、叶うなら会いたいって…」

「そう。じゃあ会わせてあげるから、ちゃんとお帰りって言ってね、土方君」

「あのな。アイツは生きてるか死んでるか分からないんだ…って今、土方君、って」

まさか。と土方の心臓が高鳴る。
期待してはいけないと分かってるのに、確かめようと相手の顔を覗き込んでしまう。
すると憎たらしいくらいの笑顔を浮かべて彼は、言った。

「ただいま、土方君」

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