忘れたくないのに、忘れてく

どんどん俺の中のお前が消えていく。
もうお前は本当はこの世界の何処にも居なくて
俺の世界が終わるまで、お前に会えないんなら
いっそ世界なんざ終われば良いのにとさえ思う時があって

そんな黒い考えが俺の頭を埋め尽くした時に気づくんだ。

こんな事を考えてる俺になんて、きっとお前は死んでも会ってくれないんだろうって。



『君がいない世界』



ここ数日眠れない日が続いた。
眠ると夢を見るからだ。
最後に見た彼の、夢をみるからだ。

土方をヘリの方に投げ飛ばした後、まるで何かをやり遂げたかのように笑顔を浮かべたまま船の合間に消えていった銀時。
夕陽に照らされた彼の銀髪は、言葉を失うくらい美しいものだった。

そんな彼に手を伸ばす。でも届く筈がない。
子供達が彼の名を呼ぶ。娘は泣きながら呼んでいた。
飛び降りて助けに行くと半ば発狂しながら叫ぶ神楽を、我に返った新八と九兵衛が止めに入る。

そんな中、土方は一人最後まで手を伸ばしていた。
届かない手を。繋がれる事のない手を。

しかし、銀時を呑み込んだ船は轟音や爆発音を立てながら海に沈んでいく。

あともう少しで銀時と一緒に帰れる筈だった。

万事屋の子供達に叱られる銀時を見守って、困ったようにこちらを向く彼に笑いながら『おかえり』と言ってやる筈だった。

そうして今頃彼は、自分の隣に居る筈だったのに。

「う、え」

吐き気を催し、思わず寝ていた体を起き上がらせて口に手をやる。
しかしもう胃液すら出ない状態だった。仕方なく体は勝手に咳き込み始めた。
ふと銀時を思い出すと、こうなってしまう。
身体が現実へ拒否反応を起こして弱っていくのだ。

『落ち着いたらこちらから連絡します。まだ新ちゃん達…話せる状態じゃないので』

志村妙にそう言われ、万事屋の子供達には面会が出来なかった。
彼女自身も信じて待っていただけに辛いだろう。
なのに彼らを励ます事に徹する姿勢に、土方も無理は言えない。

『トッシー!私に任せてヨ!』
『土方さん、大丈夫ですか?』

しかし、新八と神楽の無垢な願いすら自分は叶える事が出来なかった。
それが余計に重く圧し掛かる。

「銀時…」

助けに行った筈だった。一緒に帰る筈だった。
暗くて歪んだ世界から救い出して、また笑って、他愛無い会話をする筈だった。
時々喧嘩したりして、それでもキスをしたり。

「ぎん、と、き」

体を重ねて、温度を感じたり。

『俺、まだ土方君の裸見てねーよ。ね、帰ったら見せてくれる?』
『本当はまた皆と花見に行きたいとか考えてた』

未来の話をする筈だったのに。もっと色々なものを与えてやりたかったのに。

「俺だってまだ、お前の裸見てねぇよ…」

彼も兵器でいた間、こんな想いをしていたのだろうか。
眠れぬ夜を過ごしながら、もう触れられない愛しい者達を思い浮かべて。

(ああ、そうか。もう俺はお前に触れない。もう二度と喋れない)

「い、やだ」

(もう愛を伝えることも出来ない。もう、何も)

「いやだぁあああ…!!」

(お前の骨や灰に触れる事すら出来ないんだ)


その朝も土方は寝不足だった。
しかしその寝不足の原因は真選組という組織に直接は関係していない。
故に隊士達に心配や不安を与えぬように、本人は気丈に振舞っているつもりだったが、傍から見れば明らかに鬼の副長の体調が悪いのは、一目瞭然である。
そんな真選組の食堂で朝食を終えた土方が出て来るのを待っていたかのように立ってたのは山崎だった。

「…副長。あの、落ち着いて聴いて貰えますか?」
「あぁ?俺はいつでも落ち着いてるぞ」
「えと。じゃあそのままで聴いてくださいよ?
 …万事屋の旦那らしき人物が、見つかりました」

馬鹿な。
そう口にする前に、脳裏に銀時が微笑む姿がよぎる。
笑って土方に手を差し伸べる。

もう二度と会えないと思っていた銀時に会える…?

「副長、大丈夫ですか」

思わず自分が呼吸を止めていた事に土方は、山崎に声をかけられてから気付いた。

「…ああ。というか何情報だ、それは」

頭がグラつくのを正気を保つことで抑える。
期待してはいけない。只の他人の空似かも知れない。
そう思っていても心は銀時ではないかと急き立ててくる。

「松本先生の所に今朝、運び込まれて…江戸湾近くの砂浜で打ち上げられてたらしいんです。特徴が似てるからって俺の所に情報が来たんですけど」

山崎がいう松本、というのは真選組おかかえの医師だ。彼の腕前のおかげか情報網は広く、もし銀時の特徴を持つ男が運ばれてきたら連絡をして欲しいと頼んでいたのだ。

「…分かった。仕事が終わったら向かうように伝えてくれ。多分夕方頃になる」
「えっ、今すぐ行かないんですか!?」

山崎からメモを受け取ると、まだ治りきっていない足をヒョコヒョコと動かして土方は自室へと向かおうとする。するとそれを驚いたように山崎は止めた。

「はぁ?何言ってんだ。総悟じゃあるめーし、仕事さぼって行けるかよ」
「…副長。貴方が一日くらいさぼろうが誰も文句言いません。むしろ、一週間休んだって良いくらいですよ。そんな掌も火傷して、足に怪我して」
「そう言うな。これが俺の…」

『俺のルールだ』
武士道だ、と言いかけて銀時に言われた言葉と重ねた自分に気付く。
あれは屋根の上の決闘で、『お前は何を護ったんだ』という土方の問いに対して銀時が応えた言葉。
(どれだけお前に支配されてんだよ、俺…)

心配する山崎をなんとか丸め込み、土方は自室に戻った。
そして障子を閉めながら走り書きされたメモを読む。

『早朝未明、全裸の銀髪の成人男性を江戸湾近くの砂浜で発見。
 衰弱しきっており、意識も不明。大きな目立った外傷は見当たらない』

「銀時…?なのか…?」

思わず独り言を口走り、動悸が早くなる。
本当に彼なのだろうか?もし彼だとしても衰弱していて意識がないというのは大丈夫なのだろうか?
本当は今すぐ走って会いに行きたい。確かめたい。彼なのかを。
だがダメだ。自分は土方十四郎である前に、真選組の副長なのだ。
そんな身勝手なことは許されない。

「は、はぁっ、は、ぁ」

荒くなる呼吸を懸命に落ち着ける。胸に手をやり、深呼吸を繰り返した。
早く仕事を終わらせよう。そして確かめに行こう。
本当に銀時だったら、きっと自分を待っていてくれる。
そんな病的ともいえる根拠が土方の散らばりそうになる理性を支えた。


「副長殿。残念ながら彼は、君の探している人物ではないよ」
「え…?」

なんとか仕事を終えて、山崎を連れて土方は銀時と思われる人物が運び込まれた病院へと向かう。そこで、残念そうな松本にそう告げられた。

「今は鎮静剤を打っているから眠っているが…目を覚ました時はひどかったよ」
「ひどかった、ってどういう事ですか」
「目覚めた途端、発狂したように飛び掛ってきて暴れてね。抑えるのに一苦労だったよ」

発狂?飛び掛って、暴れる?
銀時はそんな事をしない。
白夜叉のままだったらわからないが、彼はもう正気に戻った。
一緒に日常に帰る筈だった。

「あ、あのとりあえず一目見させて貰っても良いですか?確かめたいんです」
「ああ、勿論。こっちだ」

そうして通されたのは、白いカーテンが風に吹かれた個室部屋。
そのベッドの上に彼は横たわって眠っていた。


白いベッドに、水色の入院着を着せられている彼の元へ土方は一歩一歩近づく。
見事な銀髪はサラサラと揺れて、土方の心も揺らすようだ。
そうして顔を覗き込む。
瞼は閉じられているものの、顔は銀時そのものだ。

「あ…」

確かめるだけの筈だった。
だが感情を理性で抑える事は出来ず、衝動のままに土方は寝ている彼の肩を掴んで起こすように揺さぶる。

「起、き、ろよ…てめぇ、なんでこんな所で寝てんだよ!」
「副長、止しなさい!まだ彼は不安定…」
「ふざけんなよ、皆待ってんだぞ、なのに…!」

すると瞑られていた瞼がゆっくりと開かれる。その瞳の色は血塗られたような深紅。思わずそれに土方が動きを止めた間に、彼は表情を歪ませて思い切り引っ掻いてきた。

「ぎ、ん…!?」
「いやっ、いやだ!来るな、俺に近寄るなぁ!!」

威嚇したにも関わらず土方が怯まないと知るや否や、彼は子どものように両腕を振り回して叫ぶ。

「それ以上近づいてみろ!お前なんか壊してやるからな!」
「下がってください副長、何してるんですかアンタ!」

点滴の針が彼の腕から外れて音を立てて倒れる。見かねた山崎が土方の腕を掴んで下がらせようとするがそれを振り払って言った。

「俺、だ。俺だ、銀時、分からないのか!?」
「知らない、お前なんか!」
「ああもう、言わんこっちゃない。また落ち着かせなければ…」

松本が他の医師を呼んでいる間に、暴れる彼に土方は既視感を覚える。
確かに彼は顔も声も体も銀時だ。
だが、違う。
この感覚は覚えがあった。
銀時の姿なのに、銀時ではない…

『複製の体を実験として弄くり回すのは楽しかったが』
『なぁ銀時。あの天人は実験体って言ってたが…お前の複製とも言ってた』
『体の造り的には俺と全く一緒なんだって』
『そうしたらあいつ等は今、あのケースの中で生きてるのか?』
『うん。眠らされてるけど、生きてる』

白夜叉を憎んだ天人は、彼を破滅へ陥れる為に銀時の細胞から複製を大量に造りだした。彼の複製を生きたまま実験体として利用する為に。ならば。

『目ぇ覚まさずに、そのままこの爆発で死ねると良いけど』

銀時そっくりの複製の一人が、あの船の爆発と沈没から逃れて生き残ったと考えても可笑しくはない。

「やだ、いやだぁ…!恐い…!」

(何だよ、それ)
土方は泣くよりも、笑い出したくなった。
ずっと待っていた。確かめたかった。銀時ではないかと期待した。
だが目の前の彼は、世界に恐怖する幼子のように喚いている。

「なぁ。お前、白夜叉って分かるか?」

土方は再び騒ぐ彼に近寄り、ベッドの傍らに膝をついて静かに訊いてみる。すると恐慌状態になってボロボロと涙を零していた彼はピタリと泣き止み、キョトンとした双眸で土方を見つめた。

「わか、る…」
「そうか。俺も分かる。だから恐がらなくて良い」
「こわく、ない?」
「ああ。恐くねーよ」

本当に複製ならば、何かしらの形で『白夜叉』という何かがインプットされているのではないかと土方はふんで言った。すると予想通り彼は大人しくなる。
そんな相手を更に安心させるようにその体を抱き寄せた。

「もう、何も恐くない」

囁くように土方は言う。すると先程までの暴れ方は嘘のように、腕の中で彼は大人しくなった。抱き締めた肩幅は記憶している銀時のものとやはり同じ。
その事にも土方はまた、笑いたくなった。


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