世界の角度が変わった。
そして駆け寄ってきた銀時に抱き上げられて、ようやく土方は自分が地面に倒れた事を知った。
「なに、なんなの、てか怪我だらけじゃねーか…何してんだよお前…!」
ガラにもなく心配そうな声を上げて訊いてくるから、らしくねーな。なんて考えた。
酔いすぎじゃねーの。とも考えた。でも心配された事が嬉しくも感じて土方は微かにだが呟いた。
「酒臭ぇ、お前」
『貴方を壊したい』
『…俺に必要なのは、アイツだけだから…』
『彼』が言った言葉が妙に引っ掛かっていたのは、自分にも思い当たる節があるからだとようやく気付いた。
近藤の――布いては真選組の為に色々なものを土方は犠牲にしてきた。
向けられる好意も、誰かの命も、過去も未来も全て。自分の身体ですら捨てた。
捨てられるのに。身体がどんなに汚れようが構わないのに。
この焦燥感の正体が分からない。
大切な場所があって護りたい人達が居て、その為に生きて、死んで行く。
それで良かった筈なのに。それで満足な筈なのに。
満たされないのは何故だろう。
何故、『彼』のように必要なのは『それ』だけだと、言えなくなってしまったんだろう。
…いつから?
『行かなくても、俺ァ死ぬんだよ』
揺らがされたのは、いつからだ?
『魂が、折れちまうんだよ』
俺の根底を、揺るがされたのは――…
(近藤さん達以外に、大切な人間が出来るなんざありえねぇだろ?)
(だから、紛らわせるために男の身体求めて、抱かれてるんだろ?)
「…ッ!!」
真っ逆さまに落ちてしまうような感覚に陥り、ビクリと体を震わせて土方は瞼を開いた。
まどろみから覚めるとチュンチュンと鳥が遮る声やらが聞こえ、早朝の公園の風景が広がっている。
どうやらベンチに座って気を失っていたようだ。
「あれ…確か、俺…酔っ払いに会ったような…」
ガンガンと痛む頭を抑えながら、ふと肩に重みを感じて目を向ける。
すると視界に入るのは朝日を浴びた眩しい銀髪。
「・・・は」
土方の肩にもたれて腕を組み、すやすやと安らかな寝息を立てているのは銀時だ。
暫し状況が掴めずにその寝顔を見つめていたが、そのシチュエーションを自覚して顔を真っ赤にさせながら土方は銀時をガバッと引き離す。
「てっててててめぇえ!何を人の肩使って安眠してやがる!」
「えーまだ眠い…朝いらないぃい」
「意味わかんねーんだよ!万事屋、起きろって…」
眠いとごねる銀時を突き放そうとして、ふと自分の腕に包帯が巻かれている事に気付いた。
足元にも目を向ければ着流しの裾から覗く己の足にも同様に手当てがしてある。
「まさか…コイツが…?」
まさか、と口にはしたものの怪我していた土方を手当てするなど、この状況では銀時ぐらいしかありえない。
「…おっかねーな…」
あんなに喧嘩だらけしていた自分達だが、まさか介抱されてしまう時が来るとは。
しかしそんな彼を無下にする事は出来ない気持ちが生まれ、目が覚めるまで肩を貸してやる事にした。
もうここまで来たら、逆に『朝早く目が覚めちまったから散歩してきた』という理由で屯所に戻る事にしよう。
そうしたら不自然じゃない。
(…柔らかそうな髪)
すぐ目の前に風に揺れるのは銀の髪。
思わず指を伸ばして先をソロッと触れてみる。思ったとおりフワフワした髪質だ。
(コイツには…そっくりな兄弟とかいるんだろうか?もしくは双子とか。
そういや俺、コイツの家族とかそういうの知らねェな…意外に長い付き合いなのに)
「…ん」
「あ。起きたか?」
気配のせいかぐずるように銀時が声を上げて肩をモゾモゾ動かす銀時。
急いで髪から指を離しつつ声をかけると、やだやだと頭を振る。
「まぁだ。もうちょっと寝る…って、ん?あり?」
目を何回かパチパチと瞬きさせた後、彼は一瞬で覚醒した。
「あ、土方君。起きてたのかよ!たく、目ェ覚ましてたんなら起こせよなぁー」
「いや、起こしたぞ。…まぁいい。とりあえずどけ。小便したい」
「え、あ、はぁ。どうぞ」
なんだか彼を正面から見てる事が出来ずに、厠へ行くと称して席を外す。
ベンチから少し離れたトイレに向かいながらこれから土方は銀時に何を言おうか考えた。
まずは礼だろうか?
介抱して、目覚めるまで傍に居てくれた事を…。
言えるんだろうか。只でさえこの状況は気恥ずかしいというのに。
何故あの場に居たか訊かれたらどうするべきなのだろう。とりあえず適当にかわして…
などと土方は頭の中でシミュレーションし、銀時が待っているであろうベンチへと戻る。
すると向こうも公衆電話に用があったのか、テレフォンボックスから戻ってくる所だった。
「なんだ。チャイナ娘に連絡か?」
なるべく不自然にならないように土方は平静を保ちつつも訊く。
しかし相手の返答にひどく動揺した。
「ううん。屯所にお電話したの。土方君、迎えに来てって」
「…はぁ?な、に」
一気に血の気が引いた。
「何してんだよ!てめぇ余計な事すんじゃねーよ、一人で戻れる!」
「余計な事じゃねーだろ」
激昂する土方に対し、銀時は妙に冷静だった。
「足に包帯巻いた時、見えちまったんだよ。…ヤられただろ、お前」
「・・・!!」
「誰にも言わねーから、とりあえず一人で何とかしようとするのやめな」
(見えた?何が?アナルから漏れた精液が?この怪我も、ヤられる時に乱暴されて受けた傷だと思ってる?)
グラグラする思考をなんとか理性で支えながら、震える声で土方は答えた。
「へ、平気だ、俺は」
「…土方君。一人でそんな乗り越えようとしなくて良いんだよ。
もっと周りに頼りゃあ良いじゃん。
沖田君のねーちゃんの時も、妖刀の時もお前、一人で何とかしようとしただろ。
それで土方君は良いかも知れねーけど、でももっと残された人間の事も考えてやれよ」
じくり。
そんな音を立てて、銀時の言葉が心に鈍い痛みを伴って刺さってくる。
残された人間?ふざけるな。
いつだって残されるのは自分だ。
閉じ込めていた気持ちが土方の中で込み上げていく。
性欲で紛らわせようとしていた感情が、鎖でがんじがらめにして蓋をした筈なのに出てこようとする。
(残されるのも、置いてかれるのも、いつだって俺なんだよ…!)
「何も、知らねーくせに…」
体が震えた。しかし銀時は表情ひとつ変えずにこちらを見つめてくる。
それが余計に土方を焦らせた。
「偉そうな口きいてんじゃねェよ!」
ダメだ。あの銀時の瞳は全てを見透かされそうになる。
自分が護りたいものも、望むものも今まで理解されてしまったように…感情さえもばれてしまうのではないかと。
「…土方君。あのね」
「旦那!土方さん!」
銀時が何かを言いかけた所で、息を切らせた総悟が自分達を呼びながらこちらへと走ってくる。
駆け寄ってきた総悟の顔を見れなくて、思わず土方は視線を逸らしてしまった。
「倒れたから迎えに来いって聞いて…なんでィ、ピンピンしてんじゃねーか土方コノヤロー」
「うるっせぇ」
「はい。じゃあお迎えが来た所で銀さんは帰りまぁす」
明らかな嫌味を込めて総悟が言ってくるものだから、ムキになって…否、なんとか抑えて土方は答える。
すると二人のやり取りを見ていた銀時は呆れた表情をしつつ、ヒラヒラと手を振って去ろうとする。
「旦那、折角なんで万事屋まで送りやすぜ。車で来たんで。それに包帯代も…」
総悟がそう言って初めて、銀時が包帯やら何やらが入ったビニール袋を持っている事に気付いた。
怪我をしていた土方の為にわざわざその辺のコンビニで買ってきてくれたのだろう。
あの自分至上主義な銀時がなけなしの金をはたいて手当てをしてくれたと思うと、土方は余計に胸が痛んだ。
「別にいいさ。歩いて帰るし。余った包帯うちで使うし。それよりもさ、沖田君」
やけに感情の篭らない去り際の銀時の声が、朝の公園に響く。
「そこのワンコ、ちゃんと首輪つけて鎖に繋いどいた方が良いかもよ?」
一人でほったらかしにしてると、何しでかすか分からないから
言葉にはしなかったが、銀時の言葉はそう続くような気がした。
「で、どうすると明け方にアンタ、怪我だらけで旦那と会うんでさァ?また散歩とか言うんですかィ」
「・・・」
総悟が運転する車の助手席で、窓から見える流れる朝の町並みを土方は眺めていた。
どうするとこんな状況になるのか、こちらが知りたかった。
どうしたら銀時そっくりの男に殺されかけ、更にその後に彼自身に介抱してしまう展開になるのだろう。
(アイツは俺の為を思って、言ってくれた言葉に対して…偉そうな事言うなとか…酷かったかな。でも…)
「土方さん。まさか、アンタ。まだ『この間の事』、引き摺ってるんじゃないですかィ?」
総悟の言葉にドクリと心臓が嫌な音を立てた。
『この間の事』が頭の中で駆け巡り、背中に嫌な汗がひやりと伝う。
しかし動揺は見せまいと土方は努めた。只でさえ総悟には連日の異変に気付いているのだ。
このままだと近藤に知らされてしまう。
「総悟。引き摺ってねーから。それにその話はもうしねーって約束だろ」
「・・・やっぱり少し休んだ方が良いと思いますぜ。
俺が近藤さんに言っとくんで、休暇とってどっかに静養でも…」
「ハッ、今更俺の心配かよ」
『もっと周りに頼りゃあ良いじゃん』
銀時の言葉が甦る。
(違うよ、万事屋。頼らないんじゃない。頼れないんだ。俺の護るものだから)
(だから、情けない姿なんて見せられない)
「お前は近藤さんの心配だけしてりゃあいいんだよ。俺なんかに構うな。大丈夫だから」
「…そうですかィ」
我ながら、随分と突き放した言い方をするものだと思った。
だが苛だちがどうしても治まらない。
早起きしないでいつも寝坊する総悟がこんな早朝に銀時からの連絡を受けて迎えに来たのだ。
銀時が手当てをしてくれた事と言い、土方はそれが嫌で仕方ない。
(頼むから、もう誰も俺を心配しないでくれ。俺は平気だ。大丈夫だから)
屯所に戻ってからも土方はそのまま平然と隊務をこなした(怪我は自動ドアに挟まった、と言っておいた)。
恐らく総悟はもう言及して来ないし、近藤にも報告しないだろう。なんとなくそう思った。
「げ」
数日後、近藤からおつかいを頼まれた土方はその日駅のホームに居た。
本当は車で行こうと思ったのだが事故か何かのせいで道路が封鎖されていて、電車で行った方が早いと踏んだ為だ。
隊服で行くと何かと目立つので着流しで出かけたのだが、最も出会いたくない人物を見つけてしまう。
「なんでいんだよ、アイツ…!」
通勤ラッシュのこの時間帯。スーツだらけの黒ずくめで塗り固められたサラリーマンが集うホームでは、あの銀髪と白い着物は当然目立つ。しかしどうやら向こうは気付いていないようなので、そのままバレなければ良いと思った。
銀時とは、あの怪我を手当てして貰ったあの日以来だ。
向こうはどう思ったか分からないが、こちらとしてはなんとなく気まずい。
「あっれー土方君だ。おはよ。最近よく会うねぇ」
「(なんで気付くんだなんで気付くんだ、なんで気付くんだァアア!!)」
もうすぐで電車がホームに来る、という所で土方に気付いた銀時が声をかけてくる。
内心叫びつつもとりあえず電車に乗る事に集中しようとした。が。
「ねぇねぇ。どこまで行くの?というか、あの後沖田君に色々言われなかった?」
列に並んでぎゅうぎゅう詰めの車両に乗り込むも、銀時も話しかけながら乗ってくる。
只でさえ混んだ車内。どうやって気まずい相手と過ごせばいいのか。と土方は胃が痛くなった。
「うっせーな。もう少し静かに喋れ…っ!?」
押し込むように後から入ってくる乗客達。その時、明らかに感じた臀部への違和感。
しかしそれは一瞬で終わらず、片方の尻を思い切り掌で包まれ、揉まれた。
「(痴漢…)」
土方のその認識は正しかった。
込みあっているのを良い事に、相手は体を思い切り密着させて揉んでくる。
「ん、どした?」
「…別になんでもねェよ」
こうして銀時と喋っているというのに攻めの手を緩めてこない。むしろ悪化して今度は両手になっていた。着流しの薄い布越しに掌をリアルに感じ取ってしまう。
連日男に抱かれて敏感になっている土方の体は、尻を揉まれているだけで熱くなっていってしまっていた。
「っ…く」
銀時にばれないように…不審に思われないようにゆっくり息を吐きながら俯き、なんとか快感を耐え忍んだ。
男で、知り合いが近くに居るのに痴漢なんて・・・ああ、だからか。と土方は思う。
痴漢をされても決して名乗り出ないだろう、と予測しての行為だ。
「…ふ」
だが、調子に乗ったのか今度は手が前に伸び、裾を割ってその間から進入してくる。更に尻の間には痴漢の勃起したらしきモノが宛がわれて擦り付けられた。
下着の上からきゅう、と自身を摘まれるも、なんとか声を出すまいと肩で呼吸をする。
「あれ、土方君。本当にどうしたの。腹痛い?」
「だから、何でもねぇって言ってんだろ…」
「でもマジで気分悪そうだけど。お前どこで降りるの?」
「次、の駅…」
銀時と話をしていると、痴漢に耐え忍びながらも喋る土方を楽しんでいるのか余計にペニスを弄る手が早くなる。それと比例して、大きさを増していく尻に感じる相手の一物。
次の駅とは言ってもこの電車は急行だ。着くまでにはあと、数分はある。
(バレるな。バレちゃいけない。何事もないかのように振舞え。万事屋に気付かれたらダメだ…!)
「ねぇ、いくら?」
それは電車を降りる時に訊かれた。
なんとか吐精せずに済み、安心した所で耳元で囁かれた。
恐らく今まで土方を痴漢していた男だろう。
「いくらだったらヤらせてくれる?」
痴漢していた男が実は真選組の副長だと知ったら、相手はどうするのだろう。
そんな事を考えて心の中で苦笑しながら、熱い息を吐きかけて問うて来た男を振り返る。
その辺にいそうな、小太りの中年男だった。
「…タダだったらいくらでもヤらせてやるぜ?」
不敵な笑みを見せながら土方は呟く。
もう誰でも良かった。
この身体は、近藤達と共に武州を出た時に死んだも同然なのだから。
だから血でもなんでも汚れようと構わない。
「じゃ、じゃあ、このままこの後僕と」
「はぁいストップ。ごめんねぇ俺の連れ、浮気性でさぁ」
「え?あ、オイ!?」
興奮しながら土方の体を抱き寄せようとした男を遮ってきたのは銀時だ。
驚きで2人が呆然としていると、土方の手首を掴んでそのまま人波に紛れてどこかへ連れて行かれる。
「あのさ。何してんの、お前」
その先は、駅構内の男子トイレの個室。朝ラッシュの時間帯の割には誰もいなかった。
土方を一室に押し込み、後ろ手で鍵を閉めて銀時は訊いて来る。