銀時の大切なものといえば、恐らくいつも一緒に居る新八と神楽の筈だ。
なのに彼は『あいつ等』ではなく『アイツ』と個人をさしていて。
そこからしても、やはり銀時とは他人なのではないかと推測する。
「必要なのはアイツだけ、か…」
本当に大切な、たった一人の人間の為だけに生きる事ははたして羨望すべきなのだろうか。
それとも、勿体ない生き方なのだろうか。
…そんな彼に想われる人物は、一体どんな人間なのだろうか。
「…ま、俺には関係ねーし」
ツクン、と心が痛む前にそう呟いた土方は、屯所に戻る事にした。
その間にもまたもや体の芯が疼いて熱くなっていく。
(ダメだ)
また心の中が欲情に塗り潰されていくのを感じる。
(今夜は、部屋で大人しくしていようと思ったのに)
それに抗えない事を土方は知っていた。
(総悟は俺を怪しんでるのに。
…違う。多分、俺の変化に気付いてる。今までの俺じゃないって)
心臓の音は早まり、息も自然と荒くなっていく。
(きっと、アイツは近藤さんに相談する。ダメだ。近藤さんには知られちゃいけねぇ。
でも。)
夜が近づくに連れて、感情が高まっていく。
(嫌だ。満たしてくれ。からっぽは嫌だ。誰でも良いから、だから、)
だか、ら。
「ん…ッ」
ビクリと体を震わせて、土方は己の体内に放たれた精液を掻き出した。
結局夜の誘惑には勝てずに隊士達の目を盗んで屯所を抜け出し、その辺の男を誘って暗がりで交わった。
いつも彼は溜まっていそうな男に声をかけるのだが(その方が、何も考えなくて良い程激しく突いてくれるのだ)、どうやら今晩の相手はそこまで欲求不満ではなかったようで、1回だけ達して満足したらしい。
「あッ、ぁ」
声を漏らしながら指をアナルに突っ込み、直腸に残っている種を零しては太腿へと流す。
今日の奴は失敗だったな…などと肩で息をしながら考えていると、ふと『彼』に会える予感がした。
何故だかわからないが直感めいたものだった。
そういえばこの場所は、昨晩『彼』と出逢った川と近い。
とくん。
あの瞳の緋色を思い出すと、鼓動が期待に大きく鳴る。
かき回していた指をアナルから抜き、土方は感情のままに川の方へとヨタヨタと歩き出す。
多分、会えない。
だって今夜も来てるとは限らない。
でも、会えたらどうする?
そんな事をグルグルと頭の中で廻らせていると。
「本当に居た…」
ゆらり、と。
フラつきながらも川のほとりをあるく銀髪の姿。
何故昨晩と同じ、彼がこの時間帯にこの場所に居るかは知らない。
全く土方は見当もつかない。
「あ・・・!」
しかしその姿を遠くから見つめている内に、力なく彼は草むらに倒れる。思わず声を上げて土方は駆け寄った。
「お、おい、しっかりしろよ!」
草むらを掻き分け、倒れた体を抱き起こす。ぐちゅりとアナルから洩れた精液が気持ち悪かったがそれどころではなかった。銀時にそっくりのその顔は蒼白で、固く瞼は閉じられている。まるで死んでいるような表情。
フラッシュバックのように、今まで看取ってきた人々の顔が土方の頭を駆けた。
「起きろ、起き、ろ…」
もうどんなに名前を呼んでも返事をしてくれない。
もうどんなに手を握っても握り返してくれない。
もうどんなに抱き締めても、叫んでも、冷たくて、硬くて、もう二度と―…。
「起きろよっ、万事屋ッ…!」
銀時が死ぬ筈がない、という確信は変な所であった。
煉獄関の時も、マムシの変蔵と対峙した時も、えいりあんの時も、鬼兵隊と戦った時も…いつだって銀時は大丈夫だった。
なのに今の彼は、目を閉じたまま反応一つ起こさない。
別人かと思ったがやはり銀時だ。こんなにそっくりなのはありえない。
不安になる土方は更に声を張り上げる。
「お、お前…大切な人間がいるんだろ!?なのにこんな…」
「・・・ぁ?」
ゆっくりとだが、銀時の瞼が開かれていく。その下から現れるのは深紅の瞳。
こちらが必死に呼びかけたというのに、相手は情けない声を上げながら目覚めたのだ。
安心したような拍子抜けしたような…早とちりしてしまった事に恥ずかしさを覚える。
「何してんだよ。こんな所で…いきなり倒れるなんざ、体の調子でも…」
言いかけて、危機を察知した土方は抱きかかえていた銀時の体から離れ、瞬時に後ろと退く。
「…ッ、何すんだテメェ…!」
なんと、どこからか出した脇差で彼は土方の体を切り裂こうとしたのだ。
突然の攻撃を理解出来ず、とりあえず腰に手を伸ばす。が、本来あるべきモノがソコにはない。
見渡せば、呪われた妖刀は土方から離れて放り出されてしまっている。
しまった…!今ので刀が弾かれた…!
「何すんだ、はこっちの台詞ですよ。誰だお前」
「誰だ、って…!昼間会っただろうが!」
ジャキ、と相手は脇差を構えて鋭い眼光でこちらを睨んでくる。
応戦をする術を持たない土方はなんとかしようと考えつつも答える。
(やっぱりコイツ…アイツとは別人なのか…!?)
「お前、万事屋じゃ…ねーのか…?」
「は?よろづや?お兄さん、意味わかんねー事言わないでくんね?」
目を細め、怪訝そうな表情で言う。
相手の言動に土方は眩暈さえした。
どういう事か分からない。だがその声も喋り方も、銀時と全く同じなのだ。
「あーもしかして昨日の3人組みてーに刀の斬れ味試させてもらおうか〜的な感じ?
悪いね。俺、そういうのに付き合う気は全く」
ふっ、と視界から銀時が消える。
そして影に気づき、土方が上を向いた時には切っ先を向けた彼が頭上にいた。
「ねーからさ」
「ちっ…!」
足場が悪い草むらだが、転がりつつもなんとか避ける。
あと一瞬でも判断が遅ければ今頃脳天にあの脇差が刺さっているところだった。
肩で息をしながら相手は本気だと土方は悟る。
得物がない今、まともに戦える相手ではない。
逃げるべきか?否、あの運動能力ではすぐに追いつかれる。
何よりこんな危険な男を放っておくワケにはいかなかった。
「たく、避けるんじゃねーよ。めんどくせーな。時間ねーんだ、俺には」
「な、なんなんだよお前…万事屋じゃねーなら一体何者だよ!?」
時間がない。
昨晩もそう言っていた。どういう事だ…!
だがそれを問う暇はない。今は相手の正体を知る方が先だ。
万事屋の銀時でないのなら、一体…
「何者?さぁ、俺も知らない。でも兵器名なら知ってる」
「兵器…名?」
「『人間兵器白夜叉』」
白夜叉。
その名前を何処かで聴いた事があった。だが何処でだったか、土方は思い出せない。
「分かった?俺は兵器なの。何者でもねーの」
平然と言う相手に、土方の頭に余計に混乱を生じさせる。
最終兵器とはどういう事だ?
俗に言う、人を殺める、あの兵器?
兵器と言われても彼はこうやって普通に自分の意志で喋り、行動している。
さっきだって触れて温かかった。
前に林流山が造ったメイドロボットも相当人間に近いものだったが、それよりももっと彼は人間だ。
「あのさ。俺、お前の言ってる意味が分かんねーんだけど。とりあえず名前は」
「…人の話ちゃんと聞いてた?だから俺は兵器で、コードネームは白夜叉。名前はないんだってば」
「ない訳…ねーだろ」
震えそうになる心を土方は懸命に立たせて、会話を続ける事に専念する。
言葉が通じないわけでもなさそうだ。
なんとか話をしてこちらに敵意はない事を示し、相手の脇差を下ろさせなければ。
「ほら、家族とか友達とか…誰か傍に居るだろ。ソイツらにはなんて呼ばれてたんだよ」
「そんなの、いない」
「え」
「かぞくも、ともだちも傍に居たひとなんか、いない」
今まで殺意を剥き出しにしていた彼は、そう言いながら脇差を握っている手をぶらりと下げ、顔も俯かせる。
隙が出来た。チャンスか―…?
体術には土方は自信があまりないがそうも言ってられない。
取り押さえようと意を決した瞬間、再び顔を上げた相手にギッと睨まれた。
「甘ぇんだよ、こんなんで俺が隙を作るかよ!」
「くっ!」
タン、と地を踏んで刀を携えた彼がこちらへ飛び掛ってくる。
間合いを詰められまいと土方も後ろへ退いたが、不運にもそこは川だった。
流れる水と川底の砂利に足を取られそのまま川の中に倒れこんでしまう。
「うわ…っ」
「あーもーだから避けんなって言ってんだろうが」
起き上がろうとしたのも束の間、容赦なく振り下ろされる刃からなんとか土方は逃げる。
バシャンと音を立てて飛沫が飛び散った。
「刃物をプラプラ振り回すんじゃねーって俺に言ってたのはテメーだったくせに…!」
「そんな事、俺は言ってませ〜ん」
濡れた着流しが余計に重く感じる。
全身で息をしながら、銀時と同じ容姿をしながらも『自分は兵器だ』と名乗る男を仰視した。
近づいてくる深紅の両目に吸い込まれそうになる。
確実に向かってくる死をなんとか回避しようと、土方は石の間に引っ掛かっていた木の枝を掴んだ。
「何してんの?無駄だけど」
「うぁっ!」
頼りないながらも武器にしようとしたソレを、強く手首を捕らわれた事によって放してしまう。
為す術を失った土方にニコリと相手は笑むとギラリと刃をかざした。
(マズイ、斬られる…!)
その瞬間、土方は既視感に襲われた。
あの時と同じだ。
近藤を叩きのめした侍を斬る為に、銀時に喧嘩を売って、そして――…
『はぁい、終了』
ぐっと目をつむって腹を括ったが、いつまで経っても来るであろう衝撃が来ない。
恐る恐る瞼を開くと、驚愕の表情でこちらを見ている相手と目が合った。
「ひじかた、くん…?」
「え…?」
刃を向けて呆ける相手に名前を呼ばれ、土方は自分がまだ呼吸をして生きていることを知る。
死を覚悟した心臓はいまだに早打ちして張り裂けそうだ。
「あれ…?でも、服が違う…ひじかたくんは、こんな着物なんか着てない」
「な、に…」
こちらの顔を覗き込みながらブツブツと呟く。
意味が分からず、土方はその言葉の意味を必死に考えた。
(服が違う?隊服の事か?
確かにいつも着てるのは真選組の制服だが…着流しを着ている時にも、アイツには会った事ある筈だし…
やっぱりコイツは、万事屋とは違う…?)
「黒髪で、着物…たか・・・すぎ?」
「?」
「・・・ダメだ、時間がねぇ」
彼は白ずんできた空を見上げて言うと、土方の手首を掴んでいたのを放す。
そして持っていた脇差を掲げたかと思えば、その腕からは触手――否、電気コードに近いものが生え始めたのだ。そのままコードは脇差に絡み、ズブズブと腕の中へとしまいこんでいく。
そしてあっという間に収納されてしまったのだ。
「な…!」
目の前で繰り広げられた光景に土方は驚きを隠せない。
しかし、先程彼が言ったばかりの言葉が脳に再生されてゾクリと背筋に悪寒が走る。
『分かった?俺は兵器なの』
確かに、持っていなかった筈の脇差を瞬時に取り出し、土方を襲ってきたのだ。
あまりにも人間業から離れた芸当だが兵器と言われればなんとなくだが説明はつく。
(でも、なんで万事屋の姿なんだよ…!?)
「じゃーね。命拾いしたね。お前」
「ま、待てよ!俺は土方で…お前がさっき呼んでた『土方君』で合ってる…!」
土方に興味が失せたかのように川から彼は上がると、まるで何事もなかったかのように去ろうとする。
なのに何故か土方は呼び止めるような発言をしてしまう。
「誰だ、ってお前、言ってたけど、本当は俺の事、知ってんじゃねーのか…?
大体、殺す気満々だったくせに…なんで俺の事を殺さない…?情けでもかけたつもりかよ!」
確かめたかった。
ある意味、命を掛けた賭けだった。彼がもう一度武器を出せば勝ち目はない。
それでも確かめたかった。彼が万事屋なのかどうかを。
だから訊いた。
あの決闘の時と同じ事を。
「…お前に情けかけるくらいなら、ご飯にでもかけて食べます」
相手の返事に土方は目を見開く。
ポタリと雫が髪の毛を伝って頬へと流れ落ちるのを感じた。
その後、何も言わずに何処かへと去っていくその後ろ姿を只黙って見送って。
「くそ…何なんだよ…っ」
暫くして我に返るとクシャリと濡れた髪を掻き回した。
結局彼が何者なのかも、何が目的なのかも分からない。
何故この時間にここを闊歩し、なりふり構わず敵意を向けてくるのか分からない。
そして何故、止めを刺さなかったのかも。
だが、彼は確実に銀時と繋がっている。
『何』が、とは検討もつかないけれど、銀時しか言わないような言葉を『彼』は言ったから。
『喧嘩ってのはよォ、何かを護る為にするモンだろーが』
あの屋根の上で決闘した時に言われた言葉を土方は思い出していた。
…どうすればいい?もし、アイツが銀時自身だったら?
否、別にどうしもしない。まだ誰かを殺したり傷つけたりしたわけではない。
ではもし『彼』が事件を起こしたら?
『兵器』を名乗る、『彼』を・・・斬る?
(…また、斬る?)
「く、う」
倒れた時に打撲した足や肱が痛んだが、なんとか立ち上がる。
ずぶぬれになった着流しの裾を絞るとヨタヨタと川から出た。
「夜明け、か…」
朝日は出ていないがもう夜明けは近いようだ。
そろそろ屯所に戻らなければ隊士達にバレる可能性がある。
だが、足取りがおぼつかない。
今しがたまでこの身が危険に晒されていたのが実感出来ているのかどうかすら分からない。
「だーからぁ、お尻!ひっく、俺はお尻を叩く方が良いんですぅ〜」
しかし、聞こえてくる声にビクリと体を土方は震わせた。
「いやいや叩かれる方が絶対に良い。カミュおごってやっただろ、銀さん。意見合わせろ」
「はあー。これだからM心あるオッサンはぁ〜ハードボイルドのくせに…って、あり?」
こちらが散々な目に合ったというのに、向こうからやってくるのはベロンベロンの酔っ払い二人組。
その内の一人の姿を見て土方は確信を持った。
「なんでこんな所に土方君がぁ〜?」
ヘラヘラ笑いながらそう言ったのは銀時。
誰だ、とか訊いて来ないし攻撃しようともして来ない。
何より、俺をちゃんと『土方君』と呼んでくれる。
良かった。アイツじゃなかった。斬らずに済む。
一気にそんな言葉が頭の中を駆け巡り安心した刹那、ふっと体から力が抜けた。
「よろず…や…」
「え、ちょ、なに、土方君!?」