『なんだと、このちび杉が』
その日、俺はヅラと喧嘩した。
多分初めは俺が言いだしっぺで
(ヅラの髪はヅラとか言った気がする)
で、ヅラはヅラで俺の背の事を言ってきたから
(先生の塾の男の中で、俺は一番背が低かった)
ムカついてヅラの顔を思い切り叩いた後に走ってその場から去った。
別に逃げたわけじゃない。
でもヅラはスゲー怒るだろうから、面倒くさかっただけ。
「クソ、ムカつく。ヅラの奴。馬鹿にしやがって」
ヅラの髪を馬鹿にしたのは俺の方が先なのに、それを棚に上げて幼馴染に対する不満ばかりをつのらせていた。
父上も母上も背は低い方ではない。
なのに何故か俺は塾の中で一番背が低い。
母上は『もっと大きくなったら伸びますよ』って言っていたが、それも本当かは分からない。
このまま小さいままいったらどうしよう――…
なんて考えながら、カサ。と落ち葉を踏んだ音に我に返る。
入った事のない雑木林に来てしまった事に気付いた。
自分がどこから来たかも分からず、辺りを見回しても見たことのない風景が広がるばかりだ。
紅葉が俺の髪に落ちてくるのを払いながら、どうしたものかと座り込む。
確か、迷子になった時はその場から離れてはいけないと父上に言われた。
その言いつけ通りにしようと思ったけれど、迷子で見つかったなんて知られたらまたヅラに馬鹿にされるかも知れない…
そんな事を考えつつも、空腹と寂しさが俺を襲い始める。
膝をぎゅう、と抱えて顔を伏せ。
思わず
「腹減った…」
と呟いた時。
「何してンだ、お前」
声をかけられて上を向く。
そこには長い黒髪をヅラみたく結った、気の強そうな俺と同い年くらいの少年が立っていた。
何をしてるのかと問われれば、迷子になったとしか言いようが無い。
だが何処の誰かも分からない子どもにそんな事は言いたくなかった。
「何もしてねぇよ。ここで紅葉見てた」
「ふーん。わざわざこんな雑木林の奥でか?」
「・・・」
じと、と猫目が俺を見つめるから今の状況がばれてしまわないように視線を逸らす。すると少年は懐から鮮やかな橙色をしたものを取り出した。
「なん、だよ」
「やるよ。お前、今腹減ったって言ってただろ」
彼の差し出したものは、空腹の自分にとってはとても美味そうに見える蜜柑であった。
甘いモノ好きな銀時がいたら飛びついているだろう。
「言ってねぇし。腹減ってねぇし」
「強情な奴だなてめぇ。ちなみに街に戻るにはあっちに真っ直ぐ行けば着けるぜ、迷子の坊っちゃん」
「!!」
俺の反論も聞かず、少年はひらひらと手を振って去ろうとする。
彼が何者でこんな所で一人で何をしていたのか分からない。
だが、迷子であったのも腹が減っていたのも事実であり、これでは借りを作ったも同然であった。
借りは必ず返せ、と先生に習ったのを思い出す。
「おっ、お前!」
「あぁ?」
「明日もここに来い!」
「はぁ?なんで」
「良いから来いっつってんだよ!いいな」
「・・・別に良いけど」
こうして俺は、林の中で出会った名前も知らない少年に約束をこじつけたのだ。
最も幼い俺の頭の中には借りを返す事しかなかったのだが。
それがトシと俺との、本当にささやかな出会いだった。
「クク。まさか、あの時はこんな風になるとは思わなかったがなァ…」
高杉が見上げた夜空には満月が浮かぶ。
雲ひとつ無い黒い場所で、月の白い光が不気味に光っているのが妙に不思議な光景に思えた。
過去に浸る癖が中々抜け切らないが、逆に手に取るように思い出せるこの鮮明な記憶は世界に絶望する高杉をいつも奮い立たせていた。
煙管の煙を吐き出した後、土方と銀時は今頃どうしているのかと考える。
想像するだけで片腹痛いが、早くあの二人のどちらかが自分に接触しないものかと考えた。
色々な痕を残してきたのだ。恐らく先に辿り着くとしたら銀時だろう。
「晋助。武器調達の交渉に行っていたまた子が戻ってきたでござる」
開口一番、あの銀髪の幼馴染は何と言うのだろうと考えていると、報告を携えながら万斉が部屋へと入ってきた。
「そうかい。じゃあ今宵は派手に呑み明かしでもするか」
「ああ、そう言うだろうと思い、拙者が上等な酒を用意しておいた」
そこで高杉は驚いた。
彼は大抵期待よりもはるかに大きな功績を残す男なのだが、言動まで見通せるようになったのかとそれに驚いたのだ。
「万斉。てめぇも俺の唄に乗れてきたじゃねぇか」
「ほう?晋助、おぬしのそれを唄と申すか。
拙者からすれば晋助のは唄と言うより・・・」
そこまで万斉は言いかけ、『否、なんでもない』と口を閉ざした。
一瞬言及をしようとしかけたが、彼に対する『俺がこれからしようとする事に口出しするな』という先日の口止めを思い出す。
逆に彼に言及をし返されても面倒だ。
そのまま高杉は閉口し、煙管に手を伸ばしかけた所で万斉が言った。
「晋助。柄のない刃を握れば、自身にも刃が食い込む事を忘れるなでござるよ」
*
寝付けない日が続いた。
しかしそれは仕方のない事だと銀時は思う。
土方の中から銀時と親しかった記憶が抜け落ちたあの日から、愛しいあの男に会っていない。
むしろ会えないと言うべきなのだろうか。
『そうか…万事屋、すまないが暫くトシに近づかないで居てやってくれるか』
土方の大将であり、家族でもある近藤にそう告げられたのは数日前。
一日中土方が失踪したのは万事屋が絡んでいると予測した近藤が総悟を連れて、銀時の元へ事情を聞きにきたのだ。
しかし、事は旅行中に家を空けている間に起こっており、銀時自身も状況が掴めていないのだ。
公には銀時と土方の恋仲は伏せてある事実であり、さすがに家の中で何者かに乱暴されて気絶した状態であったと伝えるわけにもいかずよく分からないがとりあえず旅行から戻ってきてみれば土方が家の前で倒れていたと伝えた。
あの場に新八も神楽も居なかったが故につける嘘であった。
『ほら、言ったでしょう近藤さん。旦那達は旅行で万事屋に居なかったって』
『いやでもほら。トシがそう言ったから、手がかりはそれしかないだし』
『何。アイツ、まだあの日前後の記憶、戻ってないの』
近藤と総悟が交わす会話に、銀時が入る。するとそうなんだよと溜め息交じりに答えたのは近藤であった。
『何処で何をしてたかも抜け落ちてるし、誰と会ってたのかも分からない。
医者が言うには、肩にも怪我してたし大きなショックを受けて記憶障害を起こしてるんじゃないかって言うんだけど』
記憶障害という言葉に銀時は思わず頷いてしまいそうになった。
前後の記憶どころか、土方から銀時と過ごした時間がごっそりなくなっている。
合鍵の事も、呼んでいた名前も忘れているのだ。
『とりあえず、何かキッカケが必要らしいんでさァ。
で、記憶が無い本人が一番不安だろうから、あまり刺激を与えないようにしなきゃいけないんでィ』
めんどくさいですよねーと言う総悟に、コラと近藤が小突く。
つまりはそういう事なのだろう。
銀時と土方が接触すれば、この記憶障害の原因に直接は結びついていないにしても、必然的に土方は思い出せないストレスを感じてしまう。
だから記憶が戻るまでは、なるべくお前は土方に会わないでくれと。
『まぁ、お前はトシと顔合わせれば喧嘩するし、暫く会わない事になっても不便はないだろ』
近藤は銀時と土方の仲を知らない。
只の腐れ縁としか思っていない。
だから彼がそう言うのは仕方のない事だった。
だが、言いようのない気持ちが銀時の心の隅で小さな痛みをもたらすのは無視できない感情だった。