「あーいってー」
ズキズキと鈍い痛みが先程から神経に響く。
いつもより力が入らない体をなんとか維持しながら土方は、屯所への道を歩く。
心なしかジロジロと擦れ違う通行人に見られているような気がする。確かに刀は差しているが、真選組の隊服ではなく着流しを纏っているのだから注目される筋合いもなかった。
肩の傷も負った理由は不明だが、そもそも何故自分が万事屋にいたのかも謎だった。
それ以前に、土方には銀時に出会い、酒を呑んだ覚えが無い。
私服に着替えて屯所を出た記憶はあるのだが、その後はどんなに頭の中を辿っても思い出せないのだ。
そもそも、何故自分は夜に出かけたのだろうか。
次の日は別段オフでもないからゆっくりする余裕もない。煙草でも買いに出たのだろうか。
もう少し万事屋の主人に話を聞いておけば良かったと思う。
しかし、あれ以上彼の家に居続け、世話になる事は土方のプライドが許せなかったのだ。
『・・・俺、渡したよね。合鍵』
そこで銀時に言われた言葉を思い出す。合鍵を渡したというのはどういう事だろう?
土方の記憶がない所で彼は自分に鍵を渡したという事だろうか?何の為に?
そこまで考えて、黒髪の男が笑って自分を見下ろし何か言っていたのが脳裏によぎる。
しかしそれが誰なのか、だとか何を話していたのか、というのも分からない。
余計な事を思い出した、と土方は舌打ちをする。これでは混乱する一方だ。
「くそ、思い出せねぇ。めんどくせぇな…」
そう呟きながら角を曲がればそこはもう屯所という所で。
「ああああぁ!!副長ぉおおお!!」
背後から聞き慣れた声の叫びが聞こえる。振り向こうとした次の瞬間には何故か地に平伏していた。
「副長、副長が見つかったぞぉおお!!門番、局長を連れて来て!」
「いたっいってぇ、山崎、何すんだテメェ!」
これはまさに確保された状態だ。怪我をしているに丁度土方を見つけた山崎の体重がかかり、思わず悲鳴を上げてしまう。
「いてっ、いてぇんだよ、どけってんだ!」
「いーえ、どきません。丸一日連絡も無しに失踪する副長が悪いんですよ!」
「え…丸一日…?」
山崎に投げかけられる言葉に土方は呆然とする。
時計を見ずにいたが、まだ日が変わるか変わらないかそれぐらいの時間だと思っていたからだ。
確かに深夜にしては人通りが多いと思っていたが天人が来てからは繁華街も夜の街となっている為に気にもしていなかった。万事屋と一緒に居た時間は数時間と思っていたが、まさかの時間のズレ具合に眩暈がした。
「そうですよ、皆心配して…ってきゃああ副長、なんですかその肩の傷!!」
「いや。あのだから痛いってさっきから」
「ザキ、でかした!!もぉおおトシ!お前、なんで俺に何も言わずに居なくなりやがった!局中法度に触れちまうだろうがもぉおお」
「局長ぉおお大変です、副長が怪我を!!救急車ぁあああ」
「ぎゃあああトシ、なんだどうしたその怪我は!!」
山崎が騒ぎ出し、更に近藤が加わった事で収拾がつかなくなり、土方は溜め息をつく。
だが本人が思うよりも肩の怪我は周りには深刻に見えたようだ。
着流しが刀で刺されたのを物語っているように破れ、その周りは血が滲みており、更にその下に覗く包帯からは血が染み出ているのだ。最も、それは山崎が体重をかけて無理な体勢を取らせたからなのだが。
「覚えていない…?」
「あぁ、そうなんだ」
手当てをされた後、土方は局長室に呼ばれた。
規律に厳しいあの鬼副長が何も告げずに一日、屯所に戻らなかったのだ。何があったのかと部屋の外で野次馬がたかり、それを追い払うのも大変だったのだが、それ以上に何も覚えていない自分に焦りを感じていた。
「それは何処で何をしていたか、という事か?」
「ああ。それどころか、何が目的で外に出たかも覚えてねぇんだ…」
近藤にそう告げながら段々と己の情けなさに腹立たしささえ感じ始めた。もう良い大人だというのに自分が何も覚えていないなどと。
「うーん、それはトッシーが出てきたから、とか?」
「…分からねぇ…」
トッシー。
それは妖刀の呪いによって現れた人格の名前。彼が突然表に出てきたのであれば、記憶がないのも説明をつけようとすれば出来る。しかし土方にはその自信もなかった。
目覚めてみれば万事屋の天井が視界に広がっており、その横には銀時が心配そうな面持ちでこちらを見ていたのだ。
トッシーが出てきたのかすら分からない。体を乗っ取られた覚えもないのだ。
しかも屯所を出てから数時間しか経っていないと思っていたのに、まさか現実ではこんなにも時間が進んでいるものだとは思わなかった。
「そうかぁ。じゃあこの丸一日、何処に居たのかも分かんないんじゃあ」
「あ、でも俺、万事屋に居たんだ」
近藤が腕を組み、うーん、と唸るとそれ以上心配をかけてはいけないと、土方は教える。
「万事屋に?そりゃあまた何で」
「いや、それが俺も覚えてねぇから定かじゃないんだが、アイツと呑み比べかなんかして、介抱されたと思うんだ」
「へぇ。アイツがそう言ったのか?」
「・・・」
言われていない。全て自分の推測したものだ。お前がこうしてこうだった、だから介抱した銀さんに感謝しろだとか言われるであろう皮肉を何一つ言われなかった。
『それよりさ、お前その肩の傷どうした』
『なぁ、土方君。お前俺の家に入る時どうした?』
更に銀時に言われた言葉を思い出す。思い返してみれば、彼もあの状況を分かっていない風だった。
しかし特に言及するでもなく「怪我は医者に見せろ」と普通に土方を帰したのだ。
「いや、全部俺の推測だ」
「そうかぁ。犬猿の仲のお前らが、仲良く家で飲むっていうのも想像出来んしなぁ。万事屋には癪だが、事情を訊いて見なければ分からんな」
「ああ・・・」
そこまで話をして土方の心の隅で僅かな違和感が生まれた。
万事屋と犬猿の仲。
近藤にそう言われた事実は確かだ。顔を合わせれば喧嘩をする自分達が仲が良い筈が無い。
それだというのに土方の中から違和感はこびりついて離れなかった。その意味も分からずに。
「あ、土方さんだ。そのまま一生帰ってこなければ良かったのに」
その肩の怪我ではデスクワークも無理だと近藤に判断され、とりあえず土方の空白の一日は保留とし、今日はもう休めと告げられた。自室へと戻る廊下で、風呂上りの総悟と鉢合い相変わらずの言葉をかけられた。
「お前はまた、そういう事を」
「で、アンタは何処へ行ってたんだィ脱走土方」
「だっ脱走なんざしてねぇよ!つーか、俺もよく分からねーんだよ。明日万事屋に聞き込みにいかねぇと」
「旦那の所へ?何ででさァ」
きょと、と総悟の大きな瞳が見開かれる。
「いや、それが目が覚めた所がアイツの家だったんだよ」
「えぇ?でも確か旦那は今日まで…」
「は?今日まで何だよ」
「いや、俺の勘違いかも知れやせんし。まぁせいぜい頑張れよしね土方」
「全然お前、励ましてねぇだろ」
相変わらずの会話をした後に、土方と総悟は分かれて自室へと戻る。そこで一言、総悟は呟いた。
「旦那、今日まで大家達と一緒に旅行じゃなかったけ…」