辛かったね、多串君。
一つだけ、懐に煎餅が残っているのをふと思い出した。
守れない事も
目の前で零れ落ちていくものを救えない事も
「旦那、あの人の傍に居てやってくんねェですかィ」
いつもは飄々としている沖田君の声が震えてた。
でも当たり前か。
もうすぐで、唯一で掛け替えのない物が
自分の意志と関係なくいなくなってしまうんだから。
この感覚、何処かで知ってる。
きっと遠い昔に置いてきた記憶。
此処に、沖田君と同じくらい一緒に居るべきであろうに
この場に居ないヤツを
俺は任されてしまった。
本当にあの子って意地っ張りだねぇ。
何の為に片足撃たれてまで、
敵地に一人で突っ込んで行ったと思ってんだろ。
あのお姉さんと沖田君の為じゃなかったのかよ。
何の為に俺、寝不足にまでなって激辛せんべぇを
渡しに行ったと思ってんだあのヤロー。
本当、馬鹿だよね。
でもきっと俺も同じ行動を取ってしまうんだろうけど。
俺たち、素直じゃないからね。
ね、多串君。
病院の屋上へと続く扉を開けた。
さぁ、と夜の風が俺の髪をすいていく。
さすがにここには居ないか、と引き返そうとすると
バリバリと何かを食べる音がする。
俺の勘が正しければ、多分煎餅を食べる音。
辺りを見渡すとフェンスに寄りかかって
脇の下に松葉杖を挟んだ多串君が煎餅を食べていた。
心なしか、鼻をすする音が聞こえる気もする。
「グス、辛ェ…」
そう言うと多串君は嗚咽を漏らし始めた。
なんとなくこの子の普段が見えた気がした。
きっと、今まで辛い事も哀しい事も
誰にも言えずに、誰にも言わずに意地張って
きっとこうして人知れず一人きりで泣いてきたんだろう。
俺も、そうだから。
取り出すと見るからに辛そうな赤。
でも、お姉さんはこれが大好きで。
もっと誰かと話していたい、と望んでいたのからして
きっと自分の死期も悟り、
だから最後まで自分の好きなものを食べていたかったんだろう。
「辛ェ」
思わず声に出してしまうほど辛い。
それなのに、舌の示す感覚とは別に
胸に広がっていくこの気持ちは何だろう。
「…祈ってたんだ、ずっと」
顔を上げると、
多串君は俺に背を向けたままそう呟いていた。
多分、今ので俺の存在に気づいたんだろう。
「神なんか信じちゃいねーが…
でも俺が出来ないなら、祈るしかなかったんだ」
最後の一欠けらをかじり終わると天を仰ぐ。
腹立たしいくらい満点の星空。
「幸せになって欲しかった。
それだけだったんだ…」
辛いね、多串君。
大事な人のために何か出来ない事は、辛い。
望むことは只一つだけなのに。
心が引き裂かれるくらい。
だから今日ぐらいは泣いちゃいなよ。
俺、誰にも言わねーからよ。
俺たちだけの秘密にしとくから
「そっか」
俺は、風にそっと言葉を乗せて、そう言った。
fin.
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