ギクリとして進めようとしていた手を止めた。土方も聞こえたのか疑問を訴えかけるように見つめてくる。
当たり前だ。今しがた親なんて居ないと言ったばかりなのに、侵入者が現れるなど。

「あれ?銀ちゃん?部屋かなー?」

女の下品な声が響きつつもこちらへ近づいてくるのが分かる。
(この間土方君にキスをしようとした時と言い、邪魔されるのが俺らの運命?)
そんな事を考えても、彼女のきつい香水のにおいが今にもにおってきそうだ。銀時は金で自分を買うあの女を土方に見せたくないし、彼女に土方を見せたくもない。

「坂田、誰…?」
「んー…とりあえず、ごめん。服整えて、帰り支度してて貰ってもいい?」

不安そうにこちらに視線を向ける土方の黒髪をくしゃりと撫でて立ち上がる。そして、ドアノブに手をかけようとした。

「あ、やっぱり部屋にいたんだ」

相手の方が早かった。勝ち誇ったような満遍の笑みを浮かべて女は勢い良く扉を開いてくる。

「もお。あたし、銀ちゃんが帰ってくるのずっと待ってたんだよ。連絡ぐらいくれたって…あら?」

遠慮なくズイと彼女は部屋に入ってきた。追い返したいのに、何故か身体が萎縮して凍りついたように動けない。
そうこうしている間に土方の存在に気付いたのか女の声の調子が上がる。

「靴が二足あったから誰か居るのかな、とは思ってたけど…だぁれ?銀ちゃんのお友達?」
「え、あ、はい。お邪魔してます」
「ふ〜ん、可愛いねぇ。銀ちゃんとタメかな?」

突然現れた女に土方は驚きつつも挨拶をする。無防備な彼に気を良くしたのか、彼女は笑みを浮かべながら土方に手を伸ばそうとする。

「…ッ、ソイツに触るな!」
「痛っ、なにすんのよー」

上手く動かせない体をなんとか駆使し、急いで銀時は汚いものを払いのけるかのように女の手を叩く。勿論その光景を土方は驚いて見ていたし、彼女は不満げに声を荒げる。

「…今日はもう帰ってくれませんか。俺旅行で疲れてるし、友達も、来てるし」
「疲れてるの?じゃああたしが癒してあげるよ」

土方の前だというのに彼女は銀時の首に腕を絡めてくる。そして、土方には聞こえないように耳元で囁いてきた。

「銀ちゃんのお友達もカワイイし、3人でエッチしよ?」

ふざけるな。
今すぐ女を引っ剥がして殴りつけてやりたかった。思わず銀時が拳を握ると更に彼女は続ける。

「ねぇ今さぁ、嫌だって思ったでしょ。別にいいんだよ?拒んだらお友達にあたしとの関係言っちゃうから」
「・・・!」

試すように、「お金もいつもみたいにあげるし」と笑って言ってくる。
金で性の売買など、きっと土方は嫌がり、軽蔑する行為だろう。
なんとなく銀時はそう思い、知られたくない、という気持ちが膨らんでいく。

嫌だ。知られたくない。
折角ここまで土方君と近づけたのに。また離れる。離れていく。
あの時みたいに。

『銀時って、こんなつまんない人だったんだね。知らなかった』

嫌だ。折角、向き合って受け入れてくれる人に出会えたのに。
俺だって、傍に居て欲しいよ。誰かが居て欲しいよ。やっと見つけたのに。

もう、世界中で一人きりは

「あ、ちょっと!?」

嫌だ

「どこ行くのよ…!!」

女が叫んでる。どうしてだろう。
俺、走ってる。誰かに引っ張られて。

「土方、く…」

土方君があの女の手を振り払って俺の手を掴み、あの家から連れ出してくれた。
それだけは分かった。
靴は半履きだし、まだ捻った足首は痛いし、でも。

でもね。

前を走る土方君の揺れる黒髪と、俺の手を握る君の掌があまりにもリアルで、夢じゃないと教えてくれたから。

土方君。どうしよう。
好き。

大好きだよ。

「はぁ、はぁ、ここまで来れば平気か…?」

マンションの中に位置する中庭に近い広場まで銀時を連れてきた土方が、走る速度を緩めて息を切らしながら言う。
同じく肩で呼吸をし、なんとなく掴まれていた手を握り返した。
すると、手を繋いでいた事を思い出したのか『あ、悪ぃ』と急いで土方は手を離す。

「…ごめん、坂田」

時間が時間なせいか、広場には誰もおらず二人きりだった。
夜の空気に体を馴染ませていると土方が沈黙を破って口を開く。

「なんで謝るの?」
「いや、捻挫してんのに走らせちまって…」
「そっちかよ!」

てっきり、女の所から連れ出してしまった事を謝ってくるのかと思いきや、予想外の言葉に思い切り銀時は突っ込む。
『そんな事ねーよ、嬉しかった』という答えを用意していたのが台無しになった。

「え、そっちってどっちだ」
「・・・。
 別に平気ですうー。そこまで足首、もう痛くねぇしー」
「お、怒るなよ。悪かったよ、勝手に連れ出して」

少し皮肉っぽく言ってやっただけなのに、土方が申し訳なさそうに言ってくるから胸が痛んだ。
(なんだよ、いつもの調子はどうしたんだよ)

「よく考えたら俺、可笑しいよな。お前に会いに来た女の前から坂田の事、何も言わずに連れてくなんて。
 でもお前があまりにも怯えた顔してるから、居ても立ってもいられなくなっちまって」

なんだよ、それ。
なんでそんな細かい所まで見てるんだよ。ふざけんなよ。

「どうかしてる・・・」

本当、どうかしてるよ。
まるで土方君が俺の事、好きみてぇじゃん。
違う。そんな事ある筈ないのに。

『銀時、ごめんね。お母さん、耐えられなかった』

そうだよ。もう期待しないって決めた。
世の中は理想だけ求めてる滑稽な世界で、利用して上辺だけへつらって、皆そう生きて、死んでいくもんだって。

なあ、可笑しいよね。
もう期待しないって決めてたのに、土方君に傍に居て欲しいなんて。

「戻ろうか、坂田。あのヒトに謝らなきゃ…」

マンションに戻ろうとする彼の言葉を遮って腕を掴み、土方が逃げられないように後ろから思い切り抱き締めた。

「いい、あんなの」
「な、何言ってんだよ。あのヒトお前が帰ってくんの、待ってたぽかったじゃねーか」
「いいから、ここに居て」

始まりはどこからだったんだろう、とぼんやり銀時は考えた。

ああ、そうだ。
久々に登校して、ベランダから銀時を見下ろしていた土方と目が合って、その後すぐに屋上で出会ってからだ。
自分は秘密で菓子を食べ、彼は秘密で喫煙していて。

「ここに居て」

あの頃は、世界の中に土方は居なかった。排除しなければいけないモノとして精一杯だった。
だから彼の仲間を盾に脅して傷つけて、それなのに彼はいつの間にか銀時の世界の中にいた。

そうしたらもう、どうしようもなかった。

「なに、なんで。あのヒト、お前の彼女とかじゃ」
「・・・違うよ。アイツ俺の父親にあたる奴の愛人で」

ピク、と土方の肩が動くのが分かった。だが反論は許さないかのように彼の体を抱き締める腕に力を込める。

(知られたくなかった。でも、もう嘘はつけない)

「俺の体を金で買う女」

(もう君に嘘はつきたくない)

後ろから抱き締めて良かったな。ぼんやりとそんな事を考えた。
正面から向き合っていたら土方の表情が見えてしまう。さすがに彼を見ながら話せる勇気はまだ、ない。

「買う、って」

土方の震えつつも問う声が夜の空気を振動させる。

「からだ、を?」
「・・・うん」

改めて言葉にされると何処かで傷ついている自分が居る事に銀時は気付いた。
なんだか自分はとんでもなくロクでもない男のように感じたのだ。
(…いや、実際ロクでもないんだけどさ。でもなんでかな。罪悪感はないんだよ)

「なんで、そんなの。だってまだお前、高校生じゃねーか…!」

悲痛な声色が問う。どうして、と。
なんでかな。そう考えた時、関係をバラされたくないだろう、と彼女に脅されたのと同時に金が貰える、というのをとても魅力的に感じて。
なにより、一人で夜を過ごさなくて良い、というのに惹かれた。
金を貰ってセックスすれば、一人で居なくてすむ。愛で結ばれなくても。

「…そうね。土方君には信じられない世界かもね。でも罪悪感ねーし、これも血筋なのかな」
「血筋…?だってお前、親いないとか」
「いねーよ。俺の母親、外国の売春婦でさ」

見えなくても、土方の目が見開かれるのが分かる。

「俺を身ごもって、子供をネタに社長のアイツに縋ろうとして、あっさり捨てられて」

正確に全ての事を銀時は知っているワケではない。

「自殺したよ」

海外に取引に行った銀時の父親に当たる男は、その一夜だけ母親を抱いた。
日本に住む事を夢を見ていた彼女は銀時を身篭ったと同時に、本妻との間に子供が出来ないと言っていたのを理由にして男と一緒になる事を望んだ。

「俺が言うのもなんだけど俺の母親、すげー綺麗な女の人でさ。でもおつかいから帰ってきたら、その人が穴っつー穴から汁出して首吊って死んでたんだぜ」

本当に幼かったけれど、その会話を覚えている。
銀時を利用して男に取り入ろうとする母親。跡取りが欲しかった故に、子供は引き取るがお前は要らないと無情に切り捨てた父親。

『銀時、ごめんね。お母さん、耐えられなかった』

あの言葉は、母親の遺言だった。

「人間てさ、愛なんかなくても性交出来ちまうんだよ。俺と土方君だって出来ただろ?」
「坂田、やめろ」

ああ、だめだ。知って欲しいのにどうしようもない言葉しか浮かんでこない。
土方君の傷を穿り返す事なんて言ってどうすんだよ。

「でも、男と女だとセックスしたら孕む可能性だってあるワケだ。よく言うよな、子供は愛の結晶だってくだらねー事」
「分かった、もう分かった。だから、」

だって仕方ない。俺の世界ってこうなんだ。これが常識なんだ。
向き合いたいって思っても皆離れてく。俺をこうあるべきだって決め付けて、動けなくする。

俺が変なの?俺が普通じゃないから?

「じゃあ、俺って何?
望まれてなくて、一晩の遊びで生まれた俺って何なんだろうね?
世界中で一人きりで、初めっから何も持ってない、俺は」

寂しくて、どうしようもない奴なのかなあ?


「やめろって言ってんだろ…!」

堰を切ったように銀時の腕を振り切り、土方は振り返って胸倉を掴んで吠えた。

「なんでそんな言い方すんだよ。なんで、自分は居ちゃいけねーような言い方すんだよ!」
「…土方君、え、落ち着いて」
「落ち着いてられるかよ、俺はそういう事言う奴は許せねーんだ!
 だってお前は生きてここに居んのに、なんで、そんな」


強い言葉は、後になるにつれてどんどんか細くなっていく。同時にキッと見つめていた土方の目は逸らされ、俯いて下を向いて。

「ここに居んのに、そんな事言うんじゃねーよ…!」

馬鹿野郎、と小さく呟かれる。
ほらね。やっぱりそうだ。
土方の反応を見ながら銀時はぼんやりと思う。

同情でも憐れみでもなく、叱ってくれるんだよね、土方君は。

「…うん、そーね。生きてきたから、土方君に会えた」

弾かれたように顔を上げた相手に、ニコリと銀時は微笑みかけた。

「俺ね、土方君に『なんで相手を試すんだ』って訊かれて、それすごい図星だったんだよ」
「え・・・っ」
「捨てられるのも離れてくのももうごめんだから、多分、無意識に試してた」

銀時の胸倉を掴んでいた土方の力が緩む。その手の甲にそっと己の掌を重ねた。

「どんなに傷つけても、どんなに嫌な俺を見せても…ちゃんと向き合ってくれる人を、探してた。
 俺の世界を壊してくれる奴を、待ってた」
「…ッ、今も試してんのかよ…?」
「まさか」

首筋に囁くとピクン、と土方の身体が反応を示す。

「もうお前の前では、俺は丸裸も同然よ?」

無償の愛なんか信じてなかった。
自分の両親に当たる人間は、二人とも自分の私欲ばかりだったから。
だが土方は何も与えなくてもくれる。欲しい言葉と、居場所をくれる。

「裸はいらねー。服着ろ」
「はは。仰せのままに。つーか、遅くまでごめんね。そろそろお開きにしよっか。送るよ」
「え、でもお前、その、平気、なのか…?連れ出した俺が言うのもなんだけど」

恐らく、部屋に残してきた彼女と、この後どうするかの心配をしているのだろう。
そんな土方の手を握り直して銀時は言う。

「平気だよ。もうなんも恐くないから」

今まで自分の全てを知られるのはもっと恐れるものだと思っていだが、案の定そこまで自分の中で重い出来事ではない事に気付いた。
だが、この清々しいまでの気持ちは何だろう。
(・・・きっと、好きって気持ち)

「なあ、坂田。俺に洗いざらい話しちゃって良かったのかよ」
「んー?」
「俺が他の奴にバラしたりしたら、とか考えねーのか?」

来る時はキャーキャー騒いでいた土方が、今では大人しく体に腕を回して後ろに乗っている。
彼の体温を背中に感じながら銀時は答えた。

「別に。だって土方君、人の出生とか面白おかしく人に喋る男じゃねーだろ」
「・・・。(だからって信じすぎだ、ボケ)」

土方家の前に着きそこに原チャリを止めて彼を下ろす。明後日には学校で会えるのに、銀時は名残惜しさを感じた。

「ごめんね、会ってくれてありがと。ついでにベラベラ喋ってごめん」
「…ついでかよ。まー気にするな。
 てかさ、お前明後日は学校来るのか?」
「・・・なんで?」
「なんでって、そりゃあお前、その、だな」

そこまで言いかけて土方が突然、耳まで真っ赤になった顔を下に向けて語尾を濁す。

「お前が自分の事をどう思ってるか知らねーけど、学校にはお前を待ってる奴らが居る事、忘れんなよ」

(ねぇ、それは銀さんが世界に一人じゃないって、伝えたいの?)

「だから…ん…っ!?」

(ねぇ、そう言ってくれるの?)

一生懸命喋るその唇を、銀時は塞いだ。
驚いて半開きの咥内に己の舌を捻じ込み、土方にキスをした。
まるで本能のように貪った。

「・・・土方君、好き。」

突然の口付けに呆然としている土方に告げる。必然のように。

「今度は嫌がらせじゃないよ」


…今、彼はなんて言ったのだろうか?

「俺ね、この街に着いた時に母親と行った海を唯一覚えてるんだ。沈む夕陽がすごい綺麗で」

喋っている間に引き寄せられて、顔をが近づいて

「あの水平線を、土方君に見せたい」

唇が、触れた所までは分かった。

「だからもし俺の気持ちに答えてくれるんなら、一緒に見に行きたい」

その後、銀時が言った言葉の意味をすぐには理解出来なかった。

「坂田、それ、は」
「返事は今度でいいから。…考えといて」

有無を言わさずに銀時はじゃーね、と言い残して早々に帰っていった。原チャリで帰っていく後ろ姿を見つめながら、今しがた言われた事を土方は混乱する頭で整理する。

「…え?・・・え?」

好き、と今彼は言ったのだろうか?
自分を?それで返事を今度までに考えておけと?

「嘘、だ」

それはつまり付き合おうという事だ、普通は。
銀時の言う事がどんなに突拍子でもそれだけは分かる。
彼は、土方を求めていると。

(俺も、お前が好きだよ。)
彼の前では冷静でいれたものの、銀時の複雑な家庭環境を聞いてどうしようもなく傍にいてやりたいと思ったのも事実だ。
今までの言動や行動にも納得がいったし、愛しさが増した気持ちも本当だ。
・・・ならば決めなければいけない。選ばなければいけない。

『妊娠させて、土方さんに雄の俺を焼き付けられるのに』
『よく言うよな、子供は愛の結晶だってくだらねー事』

今までの生活を選ぶか、これからは銀時との生活を選ぶか。

『そーちゃんと勲さんをお願いね。…十四郎さん』

「ミツバ…」


『世界中を敵に回しても』


「おはよう、土方」
「…は、よ」

結局、どうするかで悩み続け、総悟へのフォローのメールも送れずに居た休日明け。
睡眠もロクに取れなかったので早めに学校に行くと、ゲタ箱の所で土方は桂に挨拶をされる。
コイツ、いっつもこんな朝早く登校してんのか。と考えていると桂が口を開いた。

「貴様。銀時と付き合っているとは本当か」
「…。
 え!?お?(いや、告られたけどまだ返事返してねーぞ!?)
 そそそそんなワケねーだろ!誰だ、そんなん言ってたの!また志村か!?」
「いいや、高杉先生だ。余計な事はするなと言ったのに、まさか貴様が銀時と付き合う事になろうとはな。
 同じ生徒会役員として祝福を「だから付き合ってねーっつの!いいか、余計な噂流すんじゃねーぞ!」

ああああんの不良教師!!!
恐らく、修学旅行のあの一件を誤解したままなのだ。高杉への怒りを煮えたぎらせつつも、ふと銀時と付き合うとなると、そういう事になるのか、と思う。
多分、公にはしないだろうか自然と校舎内で一緒に過ごす時間が増える事になるだろうし、人気者の彼だ。
今まで『仲良くなったらしい』、という噂に更に拍車がかかるのだろう。

自分の席に座り、ガランとした教室を眺めながら土方は物思いにふける。

「もう、戻れねーよなぁ…」

きっと何もなかった事には出来ない。銀時と、あの屋上で秘密を共有しあってから何もかもが変わった。
何も接点がなかったあの頃にはもう戻れない。


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