「…坂田ぁ!」
外へと通じる裏口を開け、出て行こうとする近藤に土方は続こうとした。だが土方は、ふと顔を上げる。そして非常事態を知らせるベルを鳴らすボタンに手を伸ばそうとする銀時に叫んだ。驚いたように近藤と銀時が、こちらを見るのを感じる。
が、それでも土方は声を張り上げた。
「てめぇ、さっき…!俺とお前が同じ立場だったら、こんな事にはならなかったかって聞いたな!?」
土方の髪を握ったまま、銀時がキョトンとした顔でこちらを見ている。何故かそれを視たら泣き出しそうになった。何故かは皆目見当もつかない。
「知ったこっちゃねーんだよ、そんな事!」
土方は銀時を許したわけじゃない。
むしろ許せない。
自分に酷い辱めを受けさせ、今までも、これから先もきっと彼は幕府の側の人間である限り土方は仲間を危険に晒させる。
「だからてめぇはそこで生きろッ」
だから、同情もしない。
例えば彼が、どんな生い立ちだろうと。
「俺はここで生きる。この人の隣で。
だからお前も生きろ。
生まれてきた以上、坂田は坂田なんだから、そこで踏ん張って生きろやコラ!」
自分でも何を言っているかは分からない。
だが、決して情けなどはかけたくなかった。
ハァハァと息を切らしながら相手の様子を伺っていると、人差し指でポリポリと頬を掻いた後に、眩しそうに銀時は微笑んだ。
「…行こう、近藤さん」
僅かな時間、土方と見つめあうと近藤を連れて監獄を出た。
ざっと踏みしめる草の音。よろけながら歩く近藤を支え、土方はなるべく遠くを目指す。
遠くへ。
誰の手も届かない場所へ。
そうして落ち着いてから総悟達と連絡をなんとかとって…
そこまで考えてた所で、微かに警報の音が聞こえる。恐らく銀時が警報装置を作動させたのだろう。
『土方、愛してるよ』
銀時はそう言っていた。いつも泣き出しそうな声で。
彼は愛したいわけでも、手に入れたかったわけでもない。
只、愛されたかったのだろう。
「寒ィ、な。ちくしょう…」
近藤にはばれないように鼻をすする。削がれたばかりの髪が、項の上を滑っていった。
(願わくば、どうか)
<ねぇ、こんなに.Last>
「本当は近藤を処刑してねぇって詐欺で、上層部の奴らが逮捕されたってよ」
誰もいない地下室に一人、銀時は佇んでいた。
先ほどまで彼が居た場所。
無機質な壁や床には血や精液の痕が残ったまま。
「パクられた奴ら、確かお前が嫌ぇな奴らだったよなァ?銀時。知ってて近藤も逃がしたか?」
「…そんなんじゃ、ねぇよ」
銀時は考えていた。
土方を近藤から逃がした今、自分が此処に居る意味は何なのだろうと。
愛した人でも、傷つける事しか出来ない両手。
特殊部隊故に顔も素性も、本名すら殆ど明かす事のできない立場。
幕府に邪魔な者達は切り捨てる、血に染まった掌。
こんな日の当たらない場所に生きる自分が、それでも生きてる意味は何だろう。
土方を何度も泣かせた。
何度も、憎しみの目で視られた。
決してお前など愛さないと、許さないと。
…そんな自分が、生まれた意味は何だろう。
「どうやら、幕府には邪魔くせぇ浪人を、近藤に見立てて処刑したんだと。で、本物の近藤は監獄に幽閉して労働させて…全く、俺らの属する幕府はどれだけ腐って…」
「なぁー高杉」
高杉の言葉を遮って銀時は口を開く。
「なんだよ」
「土方がね、別れ際に『お前も生きろ』って言ったんだ」
「…へぇ?」
そして握り締めていた土方の髪を見つめる。
「坂田は坂田なんだから、踏ん張って、そこで生きろって。どういう意味?」
「どういう意味もクソもねぇだろ」
ハッと鼻で高杉が笑うから、少し銀時はムッとしながら答える。
「なに。高杉は分かるの」
「まぁ大体なぁ?」
クックッと笑いながら高杉は告げる
「そろそろ過去から抜け出して、可哀想な子どもを演じるのはやめたらどうだい?って事さ」
静かに手渡された言葉を、銀時はどこか穏やかな気持ちで聴いていた。
この間までの自分なら怒り狂って高杉に刀を抜いていただろう。
だが、自然とそんな気持ちは湧かなかった。
ただ『ああ、やっぱりそうなのか』と何処かで、本当に心の隅の何処かで思った。
土方は敵である銀時に対して、許しでも侮蔑でも、ましてや同情でもなく。
『お前は、そこで生きろ』と言った。
「ねぇ、高杉。お前にこんな事言うの、変だけどさ」
銀時は目を瞑って思い出す。
脱水症状と栄養失調を起こし、ボロボロの長屋で転がっていた銀時に、手を差し伸べた松陽の温かい掌を。
「本当は、父さんの所から俺を連れ出した松陽先生を、ずっと恨んでた」
毎夜のように行われていた暴力と虐待。
それでも、それが父親の愛だと信じて疑わなかった行為を無理矢理止められたと、銀時は感じていた。
「なんで俺をあのまま殺してくれなかったんだって」
あの日、父親は酒に酔っていた。あっけないものだった。転んで派手に頭を打ちつけ、そのまま彼は死んだのだ。幼い銀時は助けを呼びに行く事もせず、腐っていく父親の隣にただ寄り添っていた。
愛し、愛される事はそうだと信じて疑わなかった。
だが。
「なのにそんな俺を、先生もヅラも…お前もずっと守ってくれてた。俺が壊れないように。そんな小さな世界で俺は、粋がってた、だけで。でも」
対テロリスト武装警察として、幕府に仕えていた日々。
自分の小さな世界だけが世界だと信じて疑わなかった日々。
そして銀時は見つけた。
ボロボロの着流しを纏い、唾の欠けた刀を持ち、長い髪を颯爽となびかせて。
懸命に生き、戦おうとする彼を。
それが敵である浪士、土方十四郎であった。
「土方は全然、手に入らないし、愛してくんねぇし、可笑しいとか、言ってくるし」
はは、と銀時は苦笑する。手に入らないものがこの世に在る事を初めて知った。
「聴いてくれる?あの子、近藤さんの為なら自分の自由を差し出す、とか言っちゃうんだよ?考えられる?そんなに近藤さんが好きかよ、みたいな」
嗚咽が思わず溢れ出る。
その二択を提案すれば、きっと土方は己より愛する人を選ぶだろうと分かっていた。
分かっていたからこそ銀時は訊いた。
「ひっ、く、う、ねぇ、それが、あいするって、事なの?」
止まらず、涙混じりに銀時は言葉にする。
それを自覚した途端に目尻からボタボタと涙が頬から滑り落ちる。
「ひっく、えぐ、高杉ぃ…」
「…もう、お前だってどういう事か分かってんだろ」
泣き出した銀時に悪態もつかず、高杉は言う。
「アイシテルから、土方を近藤と一緒に逃がしたんだろ?」
すんなりと言う幼馴染を銀時は見つめる。
そして少しだけ理解した。
ああ、この優しい気持ちがそうなのかと。
無理強いするでもなく、自由を奪うでもなく、相手の幸せを願える事が…?
「…ひっく、高杉がそんな事言うなんて、なんか気持ち悪い」
「てめぇ、銀時…良い度胸してンじゃねーか、あぁ?」
少しでも、土方は願ってくれたのだろうか。
銀時の未来を少しでも願って『生きろ』と言ってくれたのだろうか。
(そうだったら、とても嬉しいけど)
ありがとう。
心の中で銀時は土方へ静かに祈った。
また次に会う時は敵同士だろう。
だがそれでも良い。
生きて、彼が大切な人たちの隣に居てくれたらそれで良い。
ねぇ、こんなに優しい気持ちになれたのは生まれて初めてだよ。
ごめんね。
ありがとう。
それと可哀想な子どもの銀時も、ばいばい。
「銀時、高杉―!松陽先生がお饅頭を持ってきて下さったぞー」
「なに、先生が!?」
「饅頭!?あんまんかなぁ」
地上へ続く階段の向こう側から、桂が呼ぶ声が聞こえる。
さぁ、今日は饅頭とお茶を頂きながら、昔話でもしようか。
EnD.