銃で足を撃たれただけだ、と思って油断していた自分に銀時は後悔した。
だが今は悔いている場合ではない。
「俺の背中に乗って、土方君」
「い、いい。歩ける」
「意地張ってる場合かよ…!」
力なく伏せている土方を背負うと銀時は立ち上がる。だが、未だに絶え間なく襲ってくる眠気と揺れに立っていられず、再び倒れこんでしまう。
「ひじかた、く…」
呻き声を上げる土方に銀時は手を伸ばす。
恐らくこの異常な眠気は、今まで装置に押さえ込まれてきた感覚が体に戻ってきている作用のせいなのだろう。
ならば抗うしかない。が、力の入らないこの体では上手く歩けない土方を支えて上るのは無理だ。
その間にも、嫌な音を立てて船は傾いていっているのが分かる。
爆発の熱風のせいか熱ささえ感じてきた。
『ここで二人仲良く無様に死んでいけ』
死ぬのだろうか?あの天人の言う通り。
『捨てちまえよ。そんなもん背負ってたらテメーも死ぬぜ』
嫌だ。彼を捨てるつもりなど毛頭ない。
『てめーは無力だ。もう全部捨てて、楽になっちまえ』
ああ。その言葉は前にも聴いた。
あれは確か、春雨の幹部と対峙して破れた後に見た、夢の中で…
(ならいっそ、貴方とここで壊れようか)
「土方君、一緒に死んでくれる…?」
突如、呟くように言った銀時を、うつ伏せに倒れた土方は血を流しすぎたのか真っ青な顔でこちらを無言で見つめてくる。
「今回は護れなかったけど、生まれ変わったら…今度は絶対に護るから」
すると、伸ばした手を土方は優しく握り返してくれる。否、もう殆ど力が入らないのかも知れない。
「お前と、死ぬ…それもまた一興か…」
ふ。と彼にはそぐわない笑みを向けてくる。
ずっと見たかった土方の笑顔。なのにそれはとても哀しい。
「オメーン所のガキは泣き喚くだろうなァ…真選組はどうなるんだろうな。近藤さんには何も知らせてねぇから、多分大騒ぎになる」
「あー…皆の銀さんと皆の副長サンが道連れ、なんて本当大騒動になるよ」
「ああ、違ぇねぇ…」
最期の会話とは思えないような、のんびりした調子で話していた。
そして少しの沈黙が流れた後に繋いだ手に力が込められる。
「銀、時。でも俺、やっぱり、嫌だ」
「…え?」
「お前と死ぬのも、悪くない。けど、生きれるならお前と、もっと生きたい」
土方の強い瞳が潤み始めたから、思わず銀時は目を見開く。
「前世は、とか生まれ変わったら、とか知らない…今の俺はお前の事、やっと見えてきたのに。なぁ、ここで終わりたくない」
「土方くん…」
「終わりたくねぇよ…!ああもう、何でお前の前だとこんな弱い所ばっかり…」
懸命に涙は堪えようとしているようだが、それでも抑え切れないのか嗚咽が土方の口から漏れ始める。
だが、それは銀時の心の深い所に響いた。
生きたいという思い。もっと傍に居たいという願い。護るという決意。
一緒に幸せになりたいという、願わくば叶えたい祈り。
白夜叉になる時に捨てた未来の話。
しかし、幾度も夢見たもの。
「土方君、俺、未来の事話すのは嫌いなんだ。保証は誰にも出来ないから。だけど」
何度も許されないと、諦めてきたもの。
「俺、本当はまた皆と花見に行きたいとか考えてた」
「花見か…懐かしいな…」
「新八と神楽と定春とお妙とババァと、後誰がいたっけ…ああ、キャサリンだ。たまって奴も増えたんだよ。で、真選組の奴らも一緒にさ…」
桜の花びらが舞う美しい春の季節。
花見の場所を取り合ってくだらない喧嘩を繰り広げ、結局最後には呑み比べ対決になったのが、もう随分昔のように思える。
あの頃はまだ知らなかった。
土方や真選組の人々とここまで腐れ縁になる事など。
決して切れぬ、絆が生まれる事など。
「兵器になる寸前ぐらいまで、そんな事考えてた…」
「…行こう、銀時」
そう言った土方は手を放し、両腕を使って立ち上がろうとする。慌ててそれを止めようとすると、肩で呼吸をしながらも土方が手を差し伸べる。
「諦めるにはやっぱり早ぇよ。その未来、一緒に叶えようぜ」
遠くでまた何かがひしゃげていく音が聞こえる。そんな中、銀時は差し出された土方の掌を見つめながらその手を取るべきかを必死で考えた。
本当にいいのか?
そう、心の中でもう一人の自分が訊いてくる。
(…そんなの、訊かれるまでもない)
が、それを振り払うように銀時は衝動的にその手に己の掌を重ねた。
彼と、未来を叶えたい。この掌のように未来を重ねたい。
「うん。もう少し、頑張ってみようか」
そう言うと土方は返すように微笑んでくれる。それは銀時が自然と笑顔を綻ばせていたからだというのはその直後に気付いた。
「そうだよ。俺、まだ土方君の裸見てねーよ。ね、帰ったら見せてくれる?」
「…分かったよ。見せるよ。頼むから騒ぐな…」
「本当だからな?見せろよ?絶対に見せろよ?」
「だからうるせーって…あ、この扉から甲板に出れる筈だ」
とりあえず銀時は眠気をなんとか誤魔化すために捲くし立てるように話し続けた。それを知ってか知らずか分からないが、うざったそうに聴いていた土方は外へと誘導する。総悟達によって避難は終わっているのか、先程まで賑っていた会場には誰も居なかった。
よろけながらも歪んだ扉を開くと、強い潮風と目の前に広がる夕陽という外の世界が二人を迎えた。
「うわ、久々に明るい内に外に出た…太陽とか真面目に久しぶりだよ…」
本当に久しい、昼のにおいと空気。思わず感慨深さに銀時が溜め息を漏らすとその横で土方は言った。
「これからは、また見れる」
黒髪を揺らして彼はこちらを見る。こんな状況でなければ抱き締めてやりたいのだが、何せお立っているのがやっとだ。
傾き、沈み始めている為フェンスにしがみついているとヘリの音が聞こえてくる。
上を見上げれば見慣れた人々の面々。
「銀ちゃーん、トッシー!!」
ヘリの扉を全開にした神楽が両手を振って叫んでいた。その傍には新八や総悟、九兵衛もいる。どうやら彼らも無事に脱出したようだ。
「神楽ぁ―新八ぃーオメーら万事屋空けてこんな所にまで来てんじゃねーぞコノヤロー!」
「うっせーよこのダメ天パ!アンタだって、僕らに何も言わず居なくなったくせに!」
「そうアル!帰ったら只じゃ済まねーからな!」
そんな事を言いつつも新八と神楽は嬉しそうだ。そんな子供達を眺めながら銀時は溜め息を零す。
そうして、銀時と土方を乗せる為にヘリが近づいてくる。
あと少しで日常に戻れる事にあまり実感が湧かなかったが、それでも愛する者達と少しずつ取り戻していけばいい。
そう思った直後だった。
「銀ちゃ…!」
突如亀裂が走り、床が抜けて身体が浮く。
「銀さん!土方さん!!」
あともう少し手を伸ばせば帰れる。皆の居る日常に帰れる。
『ただいま』と言える。
皆が俺達に手を伸ばしてる。
自分は跳び移ればなんとかなる。
だが、足を負傷した土方はどうなる?跳べる筈がない。そのまま落ちるだけだ。
そのまま、この船と共に海の藻屑になる。
「土方さん…!」
銀時と土方を掴もうと、手を伸ばしてくる総悟の姿が視界に入る。
ならば、する事は一つしかなかった。
土方の体を抱き寄せ、そのままヘリに向かって抱きとめようとしている総悟に向かって投げ飛ばした。
その後は何もかもが鈍く映って見えた。
驚愕の表情で見ている新八も、泣き叫ぶ神楽も、
土方を受け止めた総悟と九兵衛も…そして落ちていく感覚すら。
沈む船の間に落ちていく銀時を掴もうと、土方が咄嗟に手を伸ばす。
だがそんな彼に向かって『もういいよ』と笑って見せた。
「銀時ぃ…!」
いいよ。何もしなくていいよ。
君の真っ直ぐな瞳と言葉はいつも俺を助けてくれたから。
忘れてた大事な事を思い出させてくれたから。
君が俺の為に何かしてくれるっていうのなら、そのままの君で居てくれる事が俺への救いなんだ。
ねぇ土方君。
俺ね、幸せだった。
本当に幸せだったよ。
誰かがシナリオ書いてんじゃねぇかってくらい
土方君や、新八達に会えた事は俺の幸せだった。
なぁ、生きていくってなんでこんなに辛くて、哀しいんだって
何度も何度も思ったけど
『過去から目ェそらして、のうのうと生きてるてめーに』
『時代が変わると共にふわふわと変節しおって』
『全てアンタの甘さが招いた結果だ、白夜叉』
『坂田銀時。貴様は亡霊でござる』
俺は色々な人に色々な事を言われた人殺しだけどさ。最後の最期に救われたって思えるのはね。
『その未来、一緒に叶えようぜ』
誰も俺を許さなくても、君だけは許してくれたから。
「最後にキスくらい…も一度しとけば良かったな…」
*
「えー続いて、2日前に江戸湾付近で起きた客船の沈没についてですが、どうやら新兵器開発の証拠隠滅を図った過激派が行ったものと…」
どこのチャンネルを変えても、同じニュースばかりだ。あまりのつまらなさに総悟はテレビの電源を切り、伸びをした所で近藤が部屋に入ってきた。
「近藤さん…どうでさァ?あの人の様子は」
「変わらずだよ。足の怪我もあるし休めって言ってんのに、報告書書いてる」
「そうかィ…」
「総悟。お前も休んで良いんだぞ。お前も見たんだろ。万事屋が…」
「トイレ行ってきやーす」
「おい、総悟!」
近藤が気を使ってそう言ってくれたのは分かっている。だが、大人しくそれに従うわけにはいかなかった。彼は廊下に出ると、厠とは別の方向へと向かう。
その足の先は副長室へと歩みを進めていた。
「土方さーん、入りやすぜー?」
一応形式上、中の様子は伺わなければならない。だがいつものように『ああ』という返事は返ってこなかった。なんとなく嫌な予感がして総悟が障子を開けると予想通りの光景が広がっていた。
「土方さん!?」
「げほ、げほ、うぇ…」
体を丸ませて、部屋の主は畳の上で嘔吐している。思わず総悟は駆け寄った。
土方は嘔吐するものがない。この2日間殆ど食べ物を口にしていないのだ。
「おい、誰か…えっと、山崎ィ!!」
「そ、ぉご。大丈夫だ…」
「大丈夫なワケあるかィ、そんな吐いたりして」
「だいじょうぶ、だから…」
そう言いながら、支えた土方の肩は震えている。それをダイレクトに掌に感じて総悟は何も言えなかった。
土方は、銀時を助けられなくて自分を責めている。
新八や神楽、そして待っていろと誓わせた妙の約束をも裏切ったのだ。
そしてそんな彼に追い討ちをかけるような言葉を、銀時を救出する前日に総悟はかけた。
『もっと素直になったらどうでィ』
自分の姉にとった態度のように気持ちを押し隠すのではなく、もっと素直に銀時に接するべきだと。結果それは更に土方を銀時に感情移入させ、助けられなかった事への罪悪感に拍車をかけたに違いなかった。
「土方さん。俺、また…間違った事しちまった…?」
総悟の腕の中で弱々しく土方は首を振る。こんな今にも壊れそうな男を総悟は知らなかった。だから壊れ物のように彼を包むように抱き締める。
船が沈没した場所は、勿論捜索や調査が続けられている。だがあまりにも爆発の規模が大きく船も随分と深海に沈み、そこで生存者が居ると考えるのは絶望に近いといわれた。
船にいた客達は全員無事であり、被疑者の天人の遺体と沈没に巻き込まれた銀時だけが見つからない状態だった。
「そう、ご、俺、アイツに言う言葉、決めてたんだ」
「…え?」
「アイツが帰ってきたら、言ってやる言葉、決めてた」
「土方さん」
「花見にもまた行くって決めてた、のに…」
うわ言のように呟く土方。彼は決して涙を流さないが、その様子だけ見れば心がボロボロなのは一目瞭然であった。
言葉が見つからなかったから、せめて総悟は泣けない哀しい男を抱き締める。
静寂が横たわる部屋の隅で、そんな二人を鉢に入った金魚は静かに見守っていた。
『貴方を壊したい』 End.